三里塚耕作権裁判、NAAの署名偽造を暴く新主張
1月30日、千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で、市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれた。三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者・農民・学生・市民100人は、「農地死守・強制執行阻止」の気概に燃えて闘い抜いた。
午前9時、千葉市葭川(よしかわ)公園に結集し、太郎良陽一さんの司会で集会が開かれた。
最初に反対同盟事務局を代表し、萩原富夫さんがマイクを握った。
「市東さんが耕作する南台の農地の一部を成田空港会社(NAA)は、不法耕作だとして市東さんを訴えてきた。それが今日の耕作権裁判だ。まったくのデタラメ、市東さんを追い出すための攻撃だ。成田空港は地元では迷惑施設。農地を守り本当に豊かな生活を取り戻すためにともに立ち上がろう」と千葉市民に訴えた。
動労千葉の滝口誠さんが連帯発言を行い、意気高くシュプレヒコールを上げ、市内デモに出発。
「千葉地裁は市東さんの農地を強制収用するな」と鮮烈に書かれた横断幕を最先頭に、デモは千葉市繁華街を進み、地裁正門に迫った。反対同盟宣伝カーからは婦人行動隊・宮本麻子さんが力強く闘いへの支持と結集を訴えた。
約70の傍聴席を満杯にして午前10時30分開廷。
NAAは、市東家の耕作地位置特定について、孝雄さんの父・市東東市さん(故人)が旧地主と交わしたとされる「同意書」「境界確認書」を唯一「証拠」としているが、東市さんの署名も含めこれらは偽造文書だった。弁護団は今回、このことを決定的に証明する主張を行った。
東市さんは1985年7月21日に芝山町菱田で開かれた成田用水反対集会に参加した(この時のデモで全学連が中郷十字路で機動隊の放水車を実力占拠)。
集会後に東市さんはデモに出ず、「今日は舌がもつれてうまく発言できなかった。しゃべろうとした言葉が出てこなかった」と周囲に明かした。翌日、千葉県救急医療センターで脳外科医師から「軽い脳梗塞」と診断され、同年末までリハビリ治療を行った。
千葉地裁での空港2期工事差止請求裁判第10回弁論(87年12月)での本人尋問で宣誓書に署名した東市さんの文字は、発症前に比べて筆勢が弱く、ぎこちない筆跡になっており、健康状態による影響が明らかである。
88年4月ごろに作成されたとする「同意書」「確認書」の「市東東市」署名は、筆勢が強く乱暴な運筆であり、本人が書けるものではない。署名は偽造だ!
さらに弁護団は、市東家の南台賃借地の位置特定問題で、NAAが「予備的主張」として言い出した、「面積は特定されていたが、場所は決めていなかった」という珍説を、具体的事実をもって批判した。もともと空港公団(NAAの前身)は買収交渉のため、3人の賃借権者(石橋、根本、市東)の賃借地の場所を把握していたのであり、今ごろ「南台41ならどこでもよかった」などと言い出すとは自己否定の極みだ。弁護団はNAAに求釈明を突きつけ、この点で徹底追及の姿勢を明らかにした。
NAA代理人は無表情を装っているが、内心の動揺を隠せない。
次回期日を4月24日とし、この日は閉廷した。
近くの会場で伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。最初に市東さんが「今まさに正念場。この耕作権裁判で必ず勝つ」とあいさつし、熱い拍手を浴びた。葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団が発言し、文書偽造・筆跡問題、土地の位置問題で徹底的に原告NAAを追い詰め、農地強奪攻撃を粉砕する決意と展望を明らかにした。
連帯発言でユニオン習志野の菊池晴知委員長が、障害者不当解雇撤回闘争の決意を表した。
天神峰の現地決戦本部から婦人行動隊の木内敦子さんが、2月4日に市東さん宅離れで「カフェ」を開くことを明らかにし、現地訪問運動を広げようと呼びかけた。
最後に伊藤さんが、2月14日の強制執行差止の審尋、3月2日の請求異議裁判の弁論への結集を訴え、強制執行を阻止する具体的力を結集することを訴えた。(TN)
◎スケジュール
●「強制執行停止申立」審尋
2月14日(火)午前9時千葉市葭川(よしかわ)公園集合、千葉市内デモ、
午前10時30分、第3誘導路裁判開廷、千葉地裁601号法廷
裁判終了後に「強制執行停止申立」の審尋
●請求異議裁判弁論
3月2日(木)午前9時、千葉市中央公園集合、千葉市内デモ
午前10時30分開廷、千葉地裁601号法廷
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