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三里塚請求異議裁判―71年大木よねさんへの強制収用の非道を証言

0528a-1.jpg 5月24日、千葉地裁民事第5部(高瀬順久裁判長)で、天神峰・市東孝雄さんの請求異議裁判が開かれ、1971年の小泉(大木)よねさんに対する強制収用の暴力性と違法性を暴く2人の証人尋問が行われた。三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者・学生・市民160人は、農地取り上げの強制執行を絶対に阻止する固い決意で一日を闘った。
 開廷を前に正午、千葉市中央公園で総決起集会が開かれた。最初に東峰の萩原富夫さんが、地域住民の生活を踏みにじって第3滑走路建設、深夜・早朝飛行時間延長を進める成田空港を弾劾し、沖縄・福島と連帯し、労働者とともに農地強奪攻撃を打ち破って闘う決意を表した。
 続いて動労千葉の田中康宏委員長が、28日に千葉県地方労働委員会に1047名解雇撤回を求める救済申し立てを行うことを明らかにし、三里塚と連帯して改憲情勢に立ち向かう意気込みを表した。
 さらに関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会が連帯発言を行った。
 司会の太郎良陽一さんが、強制執行攻撃には体を張って闘う気概をみなぎらせてシュプレヒコールをリードし、反対同盟を先頭にデモに出発。宣伝カーからは婦人行動隊の宮本麻子さんが、市東さんの農地を守るアピールを千葉市民に向けて熱烈に響かせた。

0528a-2.jpg◎小泉英政さんの証言
 午後2時に開廷。一人目の証人は小泉英政さん。
 弁護団の質問に答えて小泉さんは、ベトナム反戦運動などを経ながら71年ごろ三里塚に定住し、よねさんの闘いを間近に見ていたことを語った。よねさんは、わずかな農地と近所の農家の手伝いと里山の恵みだけで、取香で自給自足の生活をしていた。亡くなった内縁の夫の姓である「大木」を名乗り、貧しいが朗らかに生き、反対同盟の一員として闘っていた。71年によねさんの自宅と敷地・田畑が、「公共用地の取得に関する特別措置法」で強制収用された! よねさんは東峰に移り住んだが、胆管がんで倒れ、73年に亡くなった。亡くなる前に、残された畑を守るために英政さん夫婦はよねさんの養子になった。
 その後、公団は小泉さんの古込の畑に対し、不当極まりない明け渡し訴訟を起こし、77年2月の「仮処分」で強制執行を行った。生育中だった作物をことごとく踏みにじり、農地がつぶされ奪われた。
 よねさんに対するこうした「二度にわたる代執行」という残酷な仕打ちは、憲法で保障された生存権を犯すものだ。その後公団は、この空港建設過程での暴挙について謝罪し、「今後は強制手段をとらない」旨を表明した。多大な犠牲を出したことへの反省と受けとめた。
 ところが今度は市東さんの耕す農地に対する強制執行が行われようとしている。農地法裁判の一審判決で多見谷裁判長は、「話し合いが頓挫した場合まで、強制手段をとらないと約束したわけではない」と、空港会社(NAA)が言ってもいない主張まで盛り込んだ。そんな解釈は誰からも聞いたことがない!
 その後、小泉さんは国、千葉県、NAAに代執行の責任を一定認めさせて「和解」に至るが、それは同じことを二度と繰り返させないとの思いからだ。NAAは市東さんへの訴訟をすべて取り下げるべきだ。
 小泉さんは、市東東市さん(孝雄さんの父)が、収用後のよねさんの身を案じてバイクでたびたび東峰に立ち寄り、「次は俺の番だ。貧乏人がいつもこういう目に遭う」と語り、自らに空港の暴力が向かってくる覚悟を表していたエピソードを語った。今その攻撃が実際に孝雄さんに襲いかかっている。空港に抵抗すればこうなると「見せしめ」のような仕打ちが行われているのだ。
 最後に小泉さんは、「市東さんはまじめな有機農業を営む農家。裁判長も市東さんの畑を見て、農業を続ける権利が奪われることのないように公平な判決を出すことを求める」と結んだ。

◎加瀬勉さんの証言
 続いて加瀬勉さんが証言台に立った。
 多古町牛尾に農家の長男として生まれ、現在も農業を営んでおり、第3滑走路建設による立ち退きの対象にされている。62年に27歳で社会党千葉県本部に就職し、富里空港の時から反対運動に身を投じてきた。
 地元農民を踏みにじる空港建設計画は民主主義の破壊であり、三里塚空港は国家犯罪の積み重ねで造られたものだ。
 反対同盟発足当初から三里塚に常駐し、よねさんの貧しい生い立ちにふれ、よねさんの一途な運動への参加を見てきた。代執行前に機動隊やガードマンは監視に回ってくると、「くそばばあ、早く死ね」などの悪態をつき、よねさんは怒りをあらわにしていた。
 71年9月20日、「今日は代執行中止」と知事の発表が新聞記者を通じてもたらされて支援の態勢がゆるみ、よねさんが脱穀作業を始めた直後に、執行官、機動隊、ガードマンなどが大挙して現れた。完全なだまし討ちだった。機動隊は抵抗するよねさんに対して顔面に大盾を打ちつけ前歯を折った。よねさんはすさまじい形相で機動隊をにらみすえた。加瀬さんは自らも激しく抵抗しながらその一部始終を目の当たりにした。
 それまでの生活の一切を破壊され、東峰に移り住んだよねさんに寄り添っていたが、よねさんは健康を損ね、73年にがんで亡くなった。よねさんは、「強盗からは金を受け取らない」と言って補償金の受け取りを最後まで拒否した。「代執行はよねさんの生存権を、精神の根本を破壊した。許せない!」と加瀬さんはひときわ声を荒げた。
 そして市東さんへの強制執行は、よねさんへの強制執行の過ちを再び繰り返すものであり、絶対に許されないと断じた。さらに、諸外国の例を挙げて日本の農地改革の不徹底さを指摘しながら、農地法の耕作者主義は戦後民主主義の柱であることを強調した。
 市東さんは、農地法に基づき、農地をまじめに耕し、地代を払い続けてきた。公団=NAAは底地を取得したことを15年も隠して、前の地主が地代を受け取り続けてきた。これは詐欺だ! 農地法を守らせるべき成田市農業委員会、千葉県農業会議はその違法を黙認し、NAAは「地主」として千葉県知事から賃貸借契約の解約許可を認められたと主張している。言語道断だ!
 そして世界人口の半分近くが飢餓に苦しむ現状を指摘し、市東さんが日々取り組んでいる農業の意義を確認した。最後に「三里塚にこれまで司法の正義があったか。あればこんな理不尽は存在しなかった」と空港の暴力に重ねて怒りを表し、裁判長に向け「強制執行を認めるな。裁判官としての正義を守れ。それは自分の命にもかかわることではないか」と鋭く問いかけた。
 NAA代理人は反対尋問を一切放棄し、自分らの罪深さについて露骨な居直りの態度を表した。

 証言終了後に弁護団は、陪席裁判官の交代に伴う更新意見陳述を行い、さらに申請した学者・専門家証人を採用するよう重ねて強く要求した。裁判長はそれを拒み、次回6月28日の法廷で、萩原さんの証人尋問と市東さんの本人尋問を「予定通り行う」として閉廷した。
 近くの会場で伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。最初に市東さんが「次回の私の尋問では、今日以上に感動を与えるために努力します」と笑顔であいさつし一同を湧かせた。さらに葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団全員があいさつし、当時の情景をリアルによみがえらせた今回の証言が、裁判所を一層追いつめたことを確認した。さらに、地裁ロビーで毎回続けられている不当な手荷物検査に対して、抗議の申入書を提出したことを報告した。
 最後に萩原さんが、「今日の証言で私も強制執行阻止の決意を新たにした。次回の6月28日の私と市東さんの尋問にも、ぜひみなさんの大結集を。そして7・8
天神峰樫の木まつりに参加し現地を熱くしてほしい」と呼びかけ、長い一日の闘いを締めくくった。(TN)

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