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星野国賠第2回口頭弁論 「魔の47日間」を追及

8月27日午前、東京地裁民事14部(伊藤正晴裁判長)で星野国賠の第2回口頭弁論が開かれた。
1971年11月14日、沖縄返還協定批准を阻止しようと沖縄現地と連帯する渋谷闘争が闘われた。そのデモ隊のリーダーだった星野文昭さん(当時・高崎経済大学生)は、デモ隊との衝突で1人の機動隊員が死亡した件で「殺人罪」をでっち上げられ、無実なのに44年も投獄。昨年5月30日、肝臓がんの切除手術後、無念の死を遂げた。
星野さんの遺志を継いだ家族が文昭さんを獄死させた徳島刑務所と東日本成人矯正医療センターを相手に国家賠償を請求した裁判だ。

◆救援会が東京地裁前でアピール

朝9時から「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」の呼びかけで集まった東京、群馬、千葉、埼玉、神奈川など救援会が東京地裁前で「国家犯罪を暴く国賠闘争/星野文昭さんを獄死させた責任を取れ」と訴えるビラをまき、マイクで訴える。コロナ対策で減らされた15枚の傍聴券の抽選には、40人を超える人々が並んだ。
裁判は、10時30分開廷。提出書面の確認と裁判の進行のやり取りが15分ほどで終わった。
場所を移して報告集会が行われた。弁護団は、昨年3月1日(星野さんが徳島刑務所でエコー検査を受けて、肝臓に腫瘍があることが発見された)から4月18日(東京・昭島市にある東日本成人矯正センターに星野さんが移監された)までの47日間を「魔の47日間」と称し、この間、徳島刑務所及び医療センターで何があったのか(=何がなされなかったのか)、この事実関係をまず明らかしたいと語った。
原告の星野暁子さんは、2018年夏に強い腹痛で倒れた文昭さんに対し、必要な検査も治療も行わず、肝臓がんを巨大にするまで医療放置した徳島刑務所の責任を追及するとともに、今回、被告が出した準備書面には、この腹痛で倒れたことについて星野さんは「転倒したわけではない」と書いていることを怒りもあらわに指摘。「この国賠に勝利して人間扱いしない獄中医療を改善したい」と決意を語った。

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