1. HOME
  2. ブログ
  3. JRは採用の義務果たせ 中労委反動命令取り消し裁判、解雇の真相鋭く暴く

JRは採用の義務果たせ 中労委反動命令取り消し裁判、解雇の真相鋭く暴く

裁判に先立ち組合員と支援者は「解雇撤回判決を出せ」と東京地裁にこぶしを上げ、署名の提出に向かった(5月25日)

国鉄1047名の解雇撤回を否定した中央労働委員会の反動命令の撤回を求めて動労総連合が起こした裁判の第9回口頭弁論が5月25日、東京地裁民事第11部(前澤達朗裁判長)で行われた。
裁判に先立ち国鉄闘争全国運動は、解雇撤回判決を求める署名2441筆を裁判所に提出、累計の署名数は9255筆に達した。
裁判闘争は結審を狙う裁判所と対決し、解雇の真相を暴いて中労委とJRを追い詰める決戦に入った。
この裁判で中労委は「解雇は1987年4月1日に行われた1回限りの行為。三十数年前の解雇についての申し立ては、期間を過ぎているので労働委員会の審査の対象にならない」という主張を繰り返している。
原告代理人弁護団は、これを徹底的に批判して、次のように論陣を張った。
国鉄分割・民営化による選別再雇用は、「国鉄とJRは別法人」という虚構のもと、国鉄がJR採用候補者名簿を作成し、JR設立委員がその中から採用者を決定する形で行われた。その手続きを定めた国鉄改革法は、JR設立委員が国鉄を通じてJRの労働条件と「採用の基準」を示して職員を募集するとした。「採用の基準」は「55歳未満であること」「職務遂行に支障のない健康状態であること」「当社の業務にふさわしい者であること」などとされ、86年12月11日の第1回設立委員会会合で決定された。この基準に基づき当初作成されたJR採用候補者名簿には、不採用とされた動労千葉・動労総連合組合員の名前も載っていた。
だが87年2月2日ごろ、JR設立委員長の斎藤英四郎(当時、経団連会長)は国鉄総裁室長だった井手正敬(後にJR西日本社長・会長)と国鉄職員局次長だった葛西敬之(後にJR東海社長・会長)に命じて不採用基準を作らせた。国鉄分割・民営化に反対する労働組合をJRから排除することが目的だった。分割・民営化反対のストライキなどを理由に停職処分を受けていた動労総連合組合員の名前は、これにより採用候補者名簿から削られた。
不採用基準の策定が不当労働行為になることは、動労千葉が旧国鉄を訴えた裁判で、最高裁が15年6月30日に出した決定により確定している。不当労働行為の不採用基準は無効だ。それがなければ、不採用にされた組合員も「採用の基準」に基づき当初作成された名簿によってJRに採用されていたはずだ。
不採用基準は「採用の基準」と一体のものとして、87年2月12日の第3回設立委員会会合で正式に決定された。国鉄改革法は国鉄職員に対して「採用の基準」を示すと定めていたが、その一部をなす「不採用基準」は全て闇に隠された。
また、本州JR3社への応募者は、国鉄改革法に基づき運輸大臣が定めたJR各社の定員を下回っていた。本来なら応募者全員が採用されるはずだった。だが、不採用基準による選別が秘密裏に行われた。
JR設立委員会会合は、こうして作られた採用候補者名簿を了承し、名簿に載った者をそのままJRに採用すると決定した。名簿から削除された組合員は解雇すると決めたのだ。この解雇は、国鉄改革法に照らしてさえ違法であり無効だ。
JR東日本初代社長の住田正二がJR設立委員だったことからも、JRは不当労働行為責任を免れない。
ならば、JRには不採用とされた組合員を採用する義務がある。だがJRはその義務を履行していない。不当労働行為は87年4月1日の1回限りのものではなく、今も継続されている。
裁判長は「そろそろ次の段階に進めたい」と結審をほのめかしたが、原告代理人の「中労委がまともに認否もしない状態で、次の段階はありえない」という強い主張に押され、中労委に認否・反論の書面を出すよう指示して、次回期日を7月22日に指定した。
解雇当該を始めとする組合員と支援者は、暴かれた解雇の真相に改めて怒りを湧きたたせた。そして、国鉄闘争全国運動の7・17集会を成功させ、「勝利まであと一歩」の闘いに立ちはだかる最後の関門をこじ開けて、何としても解雇を撤回させる決意を固めた。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

アーカイブ

月を選択