強制執行許さない!―天神峰現地に決起した3人のアピール
11月26日、強制執行攻撃との対決情勢を迎えた天神峰を取材し、三里塚芝山連合空港反対同盟の呼びかけに応えて急遽現地に駆けつけ、座り込み、泊まり込み、監視活動を担った3人の同志たちを取材した。
市東孝雄さんの農地を守るために全力で闘う時だ。決戦の地、三里塚・天神峰に赴き、3人の決起に続こう。(TN)
「全国の学生の先頭で」 全学連委員長 赤嶺知晃さん
僕は11月24日の夜から天神峰に来ました。強制執行の「授権決定」の通知が千葉地裁から市東さんと反対同盟に来て、僕たちは直ちに現地に行こうということで夜に着き、通知が来た初日から監視行動に参加しました。まず自分自身が全学連委員長として、全国の学生の先頭で、この強制執行の通知に本当に怒って行動しようという思いで駆けつけました。
国家権力というのは大木よねさんの強制収用の時も卑怯な手を使いましたし、本当に卑怯卑劣な連中なので、通知が来たその日に強制執行をやるということもありうるということで、それを止めるために、全国の学生の代表として行動しなければと思いました。今日もこの場所からずっと、全国の学生に三里塚現地の報告をしたり、みんなに集まろうと訴えています。
自分はなぜ三里塚をともに闘うのか。
今、日本帝国主義・岸田政権によって改憲と戦争の攻撃がかけられています。土地規制法で沖縄全土が監視対象にされ、いつ辺野古の前のテントが破壊され、基地周辺の土地が接収されたり弾圧されてもおかしくない。国家権力は、日本階級闘争の魂である三里塚闘争をたたきつぶして、全国に土地規制法の監視を広げ、戦争体制構築を進めようとしています。
この三里塚闘争を絶対に守り抜く、ここで勝利しぬくという中に、沖縄の辺野古新基地建設阻止の闘いの勝利の展望もあり、三里塚闘争をつぶさせない、ここに階級闘争の一番重要な焦点があると思っています。
改憲・戦争を止めるため、全国の反原発運動、反戦運動、反基地闘争を勝利させるためにも、まず三里塚で勝利しよう、学生は立ち上がろうと、全国の学生、労働者・市民に強く訴えたいですね。
市東さんの家に援農とかで伺うと、なかなか農作業というのは簡単じゃなくて不慣れな僕たちに、市東さんは非常にやさしく教えてくれます。そして、学生運動とか沖縄のことを気にして、沖縄はこうなっているね、許せないねとか語りかけてくれて、沖縄と三里塚が一体であることを常に市東さんの側から表してくれます。
やはり市東さんは三里塚闘争の中心にいて、代表的人格として、階級的視野の広さというのをすごく感じます。物静かで優しく、学生を毎回歓迎し支持してくれる市東さんという方に、会うたびに感銘を受けるし、学ぶべきことが多い人だと思いますね。
初日から深夜、未明、夜通しの座り込み態勢を続けていますが、現地の支援連絡会議の方々と打ち合わせをしながら、お互い支え合いながら、監視行動を続けました。私も夜中の2時くらいから、車で回り、警察車両の動向、機動隊バスが停まってないかをチェックしたりとかやらせてもらいました。
夜だけじゃなくて昼間も監視をしています。やはり農作業をしていると市東さんがおうちから離れることもあるので、市東さんが家にいない時を狙って執行官が来たりしないように、日中も監視を続けました。
そして緊急事態となったら携帯電話で直ちに連絡して態勢をとることにしています。
僕が本当に許せなかったのは、夜通し監視をやって疲れてくたくたになって離れで眠っていたら、朝6時くらいから「グオーン」というジェット機の激しい爆音が襲いかかってきました。こっちはローテーションを組みながらですけど、夜通しがんばって疲れてやっと眠りについたのに、いきなり飛行機の爆音で早朝6時に起こされた。こんな朝からジェット機が飛び交っている!
市東さんにこういう状況を強いているNAAを許せないし、市東さんの農地への強制執行を絶対に阻止することをあらためて決意しました。
「農民として生きるために」 全国農民会議(岡山)内藤大一さん
全国農民会議は、三里塚反対同盟の故萩原進事務局次長の呼びかけで、3・11福島原発事故のあとに、「反原発、反TPP、三里塚連帯」ということで発足しました。
今、市東さんの農地を取り上げようとする攻撃がかけられていますが、全国の農民も同じ立場に置かれていて、農民が農民として生きていけていけないことの象徴です。
米の値段は急激に下がっているし、畜産関係でもエサ代とかはどんどん上がっているのに、子牛の値段は下げられるとか、本当に農家が農家としてやっていけない状況です。労働者が非正規化され、解雇されるような状況に置かれているのと同じです。
ですから市東さんにかけられている攻撃は、全国の農家農民にかけられている攻撃だという立場で、これまでもずっと三里塚とともに闘ってきましたし、この強制執行切迫の状況で、すぐに駆け付けようということで来ました。
安倍政権のもとで行われていた農政、「農業の民営化」攻撃というか、大規模化を進めるとかなんだとか言われてやられてきたことは、実際には農村を破壊してきました。補助金で大規模化したところなんかは、米の値段がこれだけ下がったら、もう経営を続けていけないとか、全国の農家は非常に厳しい苦境に直面しています。新自由主義的な農業政策の破産がはっきりしていると思うんです。
そういう中で、改憲・戦争へ向けた攻撃が全社会的にかけられています。それは農業も例外じゃないと思うんですよね。TPPに反対する立場の人の中には、「食糧安全保障」とか「農業安全保障」をスローガンに掲げている部分もありますが、自分としてはそういう立場は違うんじゃないかと思うんですよ。
安全保障とは、言ってみれば国が生き残るとか資本主義が生き残るみたいな立場を表し、それでは絶対に今の農業問題は解決しない。農民が生きていけない現実というのは資本主義そのものに一番の原因があるし、新自由主義の破産となってあらわになっている。そして今度は実際に戦争ということになったら、労働者が動員されるのと同じように農民も動員されるということだから。
やはりそういうことに対して三里塚が闘ってきたように、国家権力と実力で闘って戦争を阻止していくという立場に立てるかどうかというのが、農民にも問われていると思うんです。
だから農民全体にかけられている攻撃を跳ね返すには、「三里塚のように闘おう」という立場が必要だと思います。
日本原闘争は、演習場の中にある田んぼというのが、土地自体は防衛省、国の所有になっているんです。それは旧陸軍が中国侵略戦争、朝鮮侵略戦争のために日本原基地を造ったときに、無理やり農民から買収して、ただ一応耕作権は認められているわけです。
今市東さんにかけれている攻撃と同じように、戦争のために演習場の中にある土地を強制収用するという、今まではできなかった攻撃が来ると思うんです。
だから市東さんと同じような気持ちで、「農地死守・実力闘争」で日本原でも闘っていきたいと思っています。
私は大学1年生で三里塚・天神峰に来た時は、団結街道は北の方まで続いていて、話し合い攻撃を粉砕するということで、やはり市東さんの家の前などで交代で立って、団結街道を見張っているというのをやってました。
今回、団結街道の入り口のところで座り込み見張っているんだけど、市東さんの家のちょうど向かい側に機動隊が拠点を構えている。あれは本当に許せないと思いましたよね。
そういう中で、「闘魂ますます盛んなり」と唱えていた東市さんの闘争精神を引き継いで市東孝雄さんが闘っているのは本当にすごいなと思いました。
みんなの力で、絶対に強制執行を阻止しましょう。
「半世紀以上続く反権力の闘い」 千葉県反戦青年委員会 中井裕也さん
今回、三里塚がこのような強制執行切迫状況を迎えたということで、これはさすがに「現地に行かなければ!」という思いで駆け付けた次第です。
物流関係で働いています。労働運動の一番いいところは、職場によって運動の仕方、訴えかけ方というのはそれぞれで、「労働運動にあらかじめ正解はない」ということは一番大変な所ではあるけれども、一番面白いところじゃないかなと思います。
ですから労働運動をどう面白くするのかが重要じゃないかと。労働者はつまらないものには寄りつかないですよね。
今は労働集約型の産業は減ってきましたが、その中で物流というのは、やはりみんなで集まって大人数で働くというのが比較的残っている産別ですね。物流の労働強化が一番なされてきたのは運送関係ですが、倉庫の中の作業も10年前に比べて結構労働強化がなされてきました。なぜかといったら、昔は倉庫で働く作業員は誰も労働組合なんか入ってなかったんですよ。
昔話であれですが10年くらい前の状況を言えば、当時はまだ日雇い派遣というのは禁止になる前で、倉庫の作業員は大部分が一日ごとの契約だったりとかで、そういう労働者たちが多くを占める中で、労働組合もそういう人たちへのオルグをほとんどしなかったんだろうなと思います。僕もオルグされたことがなく、だから今も連合系の労組に多いんですが、雇用形態で人を選んでっていうか、いまだに社員だけの組合とかもあります。
ひどいのは、広く組合員を募集しているつもりでもいざ組合役員が口を開くと、「派遣社員も入れますよ」みたいな言い方をする。そういう組合がほとんどなんですよ。これは連合だけじゃないですけど。
そう言われると「社員じゃないけど入れてやる」的な受けとり方をする人が多くて、そのこともやはり、非正規の倉庫作業員の組合組織率の低い現実となって表れると。今は多少はましになってきているようですが。
三里塚闘争というのは、60年代から半世紀以上も続いており、なんでこんなに長く闘ってこれたのかといったら、反権力の闘争だったというのが一番大きいと思います。
もちろん農民の闘いだけど、同時に日本帝国主義、国家権力との闘いだったからこそ、70年安保の時期においてもこれだけの統一戦線が組めた要因だと思います。
三里塚はいきさつから言えば、新東京国際空港を冨里に作ろうとして反対が強くて頓挫したから、成田の三里塚地区に決められたわけですが、このプロセスは、木更津駐屯地のオスプレイ配備と重なって見えました。木更津には今V22オスプレイが配備されていますが、あれの経緯も当初は九州・佐賀に配備しようとしていたのが、反対が強くて頓挫して、木更津に無理やり配備を進めたということです。
成田もいろんな方法を使って、既成事実化みたいなのを進められてきましたが、木更津でもオスプレイは「5年間の暫定配備」と言いながら、整備用格納庫を新設していたという。だから日帝もやはり、本気で戦争しようとしていると感じるところです。
僕が初めて三里塚に参加したのは、去年の10月に開かれた成田市栗山公園での全国集会です。
公園の上を京成線の高架が走っていますが、電車の車掌が集会中の僕たちをガン見してたのを覚えてます。あそこは成田駅の近くなので電車も速度を下げるんですが、十人中九人くらいの車掌が身を乗り出して集会を見てたのが印象に残っています。共感なのか反発なのか、昔に車両を燃やされたことを知っているのかも。
かつての三里塚闘争を闘った古い先輩たちからも、いろんな体験談を伺いました(ここでは明らかにできないような)。その時々で闘い方も変わってきますが、やはり変わらないのは国家権力と非妥協で闘うという精神です。
職場闘争も改良を重ねるだけでは何も変わりません。僕も普段から革命につながる運動を心がけています。ともに、市東さんの農地への強制執行を実力で阻止しましょう。
スケジュール
◎天神峰カフェ 12月4日(日)正午 市東さん宅中庭集合
◎12・11天神峰現地闘争&団結芋煮会 12月11日(日) 午後0時30分 市東さんの南台農地集合→デモ→市東さん宅中庭で芋煮会
◎空港周辺地域一斉行動 12月18日(日)
◎三里塚反対同盟新年団結旗開き 1月8日(日)
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