1. HOME
  2. ブログ
  3. 天神峰4日間決戦に勝利―反対同盟と労働者・学生の団結の力で

天神峰4日間決戦に勝利―反対同盟と労働者・学生の団結の力で

天神峰4日間決戦の最終日、勝利を確認し一同の奮闘をねぎらう市東孝雄さん(12月30日 成田市)

三里塚芝山連合空港反対同盟と支援の労働者・農民・学生・市民は天神峰・市東孝雄さんの農地を守り抜く年末4日間決戦に全力で立ち、敵に一指も触れさせず完全に勝利した。
新やぐら控訴審の仮執行宣言付き反動判決が9月2日に出されて以降、成田空港会社(NAA)は、市東さんの天神峰と南台の農地の強奪と、そこにある営農に不可欠な建物(作業場、農機具置き場、ビニールハウス、コンテナ、鶏舎、離れなど)の収去、さらに反対同盟のやぐらと看板の収去の強制執行手続きを、かさにかかって急速に進めてきた。
田村明比古NAA社長は居丈高に、10月20日の記者会見で「どこかの時点で執行する必要はある。円滑かつ確実に実施するため、関係各方面と検討している」と述べた。さらにNAAは市東さんに、「12月27日にも離作補償金を供託する」と通知し、年内に強制執行を行う意思をむき出しにした。
これに対し反対同盟決戦本部は、27日から30日までの4日間を「強制執行阻止! 天神峰を守ろう! 4日間決戦」と位置づけ、当面一切の力をこの4日間に集中して立ち上がるよう檄を飛ばした。この訴えは直ちに全国を駆け巡り、これに応えて闘う人々が続々と天神峰現地に駆けつけ、市東さんをはじめ反対同盟と心を一つにして、4日間を闘い抜いた。

◎12月27日
4日間決戦の第一日目。早朝、結集した仲間たちは、市東さんの畑に接する旧小見川県道に立ち、決戦本部長の太郎良陽一さんのリードで4日間決戦の突入を宣言した。

全国から駆けつけた仲間が市東さんの農地を守り抜く決意をこめてこぶしを固めた(12月28日 成田市天神峰)

25日の天神峰カフェにおいて立てられた10本あまりのぼりがすでにここで、はためいている。「成田空港絶対反対!」「強制執行絶対反対! 市東さんの農地を守ろう」「ふるさと壊すな! 空港機能強化反対」「気候変動止めよう」「すべての原発再稼働反対!」などの反対同盟のスローガンが色鮮やかに書かれたのぼりは、通行する車両に向けてもアピール力抜群だ。
全員で朝日を浴びながら「市東さんの農地を守り抜くぞ!」とシュプレヒコールを繰り返した。
昼から午後にかけても、支援の人々が全国から駆けつけてくる。婦人行動隊の木内敦子さんは、「この場所が私たちの解放区のようになっている。これが闘う力だと思う」と感慨を述べた。
市東さん宅の道を隔てた向かいには、機動隊の基地がある。寒風が吹き抜ける中、団結街道入り口に陣取って座り込みを続ける仲間は、この基地ゲートを出入りする警察車両の動向に注意しながら周囲を監視し続けた。
5日に向かいの雑木林が機動隊の監視のもとで工事業者によって伐採されて以来、機動隊宿舎の屋上からこちらの座り込み場所が「丸見え」の状態になっている。逆にこちらからも、機動隊の動向がよく見えるようになった。
夕刻から夜にかけて、さらに泊まり込みに参加する人々が次々と駆けつけた。現地闘争本部の同志たちは、食事や宿泊の手配、不寝番や周辺巡回の任務配置、態勢を整えることに余念がない。夜の冷え込みの厳しさは決して油断できないほどだ。だが、夜が更けるほどに、参加者の士気は高まった。これまで三里塚では深夜・未明の騙し討ち的攻撃がたびたびかけられてきたことを肝に銘じ、絶対にそれを許さない!という怒りだ。

◎12月28日
深夜・未明の攻撃はなく二日目の朝を迎えた。泊まり込んだ人々は緒戦の勝利を確認しながら、日の出前から全員が起床し、暖を取りながら闘志を燃やし合った。この日は「御用納め」でもあり、敵の強襲の可能性が最も高いことを確認して、全力で闘い抜くことを誓い合った。
午前7時30分から旧県道に並び、太郎良さんの司会で集会を行った。主力は全学連の学生たちだ。京都大学をはじめ、全国から駆け付けた活動家、あるいは三里塚初参加の学生が次々と発言に立ち、各々が人生をかけてこの三里塚決戦に臨む決意、意気込みを自分の言葉で明らかにした。
集会中にも東京各地区、神奈川、婦人民主クラブ全国協、前進社本社などの車両が続々と到着して仲間たちが降り立ち、参加し、発言した。

正月野菜の出荷準備にいそしむ市東孝雄さん(12月28日 市東さん宅中庭の作業場で)

岸田政権の大軍拡、防衛費2倍化、成田の軍事空港化、憲法改悪攻撃のもとで、市東さんの農地を強奪する国家犯罪が敢行されることへ腹の底からの怒りを爆発させた。
昼にも集会を行い、日没以降まで座り込みを続けながら、天神峰一帯を終日「農地死守」の熱気で包んだ。
市東さんは、援農者とともにいつも通り農作業にいそしんだ。
夕方からは、市東さん宅中庭で反対同盟の忘年会が盛大に開かれた。支援連が準備し調理した肉料理などのご馳走がふるまわれた。市東さんがあいさつに立ち、「みなさんが毎日ここで座り込み、泊まり込みを行っていることは、彼らもこの道を通って見ており、脅威に感じているはず。今後も団結の力で攻撃を跳ね返そう」と呼びかけ、大きな拍手と歓声を浴びた。
反対同盟、年配の支援者たちと全学連の学生とが、盃を交わしながら胸襟を開いて語り合った。60年代、70年代、80年代の闘いを昨日のことのように語る先輩たちと、2000年前後に生まれた今の学生たちが、世代を超えて交流し、半世紀を超す三里塚闘争の歴史を共有し、実力闘争に確信を深めた。

忘年会で全学連、青年たちと熱く交流する三里塚反対同盟。上は東峰の萩原富夫さん、下は天神峰の市東孝雄さん(12月28日

4日間決戦前半の勝利を確認し、インターナショナル、反対同盟歌を熱唱して忘年会を締め、深夜・未明の態勢へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

◎12月29日
三日目を迎え、この日も早朝の集会を旧県道沿いで開き、勝利を誓い合った。これまで警察・機動隊やNAAの目立った動きはない。こちらがこの場所で怒りと闘志をむき出しにしているから、彼らは容易に手を出せないでいるのだ。そのことを共通認識として、緊張を緩めず座り込みに入った。

檄布と差し入れを持って駆けつけた動労千葉と勝利を誓う。左から川崎さん、北村さん、大竹さん、市東さん(12月29日)

市東さんは正月野菜の出荷作業を行い、各消費者あての手書きメッセージのコピーをケースに同封した。
「本年中はお世話になりました。空港会社が、農地を奪うための手続きに入ったため、緊迫した年末になりました。全国から大勢の皆さんが駆けつけてくれて、おかげさまで、年末まで、空港会社の手出しを許さず、今年も皆さんに野菜をお届けすることができました。闘いの中で育った野菜をご賞味ください。市東孝雄」
動労千葉の川崎昌浩さん、大竹哲治さん、北村武さんが昼過ぎに差し入れの箱を携えて天神峰を訪れ、市東さんに檄布を手渡し、固い握手を交わした。
さらに東京や首都圏の労働者が次々と訪れ、座り込みに参加し、現地調査を行い、離れで反対同盟のDVD「三里塚2021/市東さんの農地を守れ」を視聴した。

◎12月30日
4日間決戦の最終日の朝の集会には、市東さん自身が参加してマイクを握った。「1年間ご苦労様でした。みなさん気合がはいりましたか? このような状況の中でわれわれ反対同盟は日々権力と闘っています。少数派でありますけど気持ちだけは負けないつもりでいます。今年は本当に1年間ありがとうございました。また来年に向けて共にがんばっていきたいと思います。団結してがんばりましょう!」

NAA、機動隊を寄せ付けず全学連が座り込み、監視活動(12月29日 天神峰、団結街道入り口)

伊藤信晴さん、太郎良陽一さんも発言し、この4日間敵に一指も触れさせず農地を守り抜いた勝利を確認し、1月8日の団結旗開きを皮切りに、2023年の闘いへと向かうことを誓い合った。

4日間決戦は勝利した。だが、敵が強制執行の「タイミング」を虎視眈々と狙っていることを忘れてならない。
1971年9月の第2次強制代執行では「この日は代執行はやらない」とウソをついて、大木よねさんへの暴行・襲撃、代執行に及んだ。77年の岩山鉄塔決戦では、捜索(ガサ入れ)と称して突入して反対同盟を排除し、大鉄塔を重機で引き倒した。2010年の団結街道封鎖は人の寝静まった午前3時半ころにコソ泥のように工事を強行した。2011年の現闘本部破壊は、多くの人々が広島での闘いに駆けつける8月6日を選んで闇討ち的に行われた。
国家権力とNAAは、どれほど卑劣で犯罪的な手段を使ってでも攻撃をかけてくるのだ。
4日間決戦の勝利を糧に、戦争と軍事空港を阻止するため、労農学連帯の発展をかけて2023年の闘いへ前進しよう。市東さんの農地を実力で守り抜こう!(TN)

スケジュール

◎三里塚反対同盟新年団結旗開き 1月8日(日)午後0時30分 市東さんの南台農地集合→デモ
1時 天神峰農地で団結旗開き

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

アーカイブ

月を選択