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三里塚団結街道裁判―市東さんが陳述、「空港より農地が大事だ」

団結街道裁判の報告集会であいさつする市東孝雄さん。長時間の本人尋問での陳述に惜しみない拍手が送られた(10月25日 千葉県教育会館)

千葉地裁民事第3部(岡山忠広裁判長)で10月25日、団結街道裁判が開かれ、三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの本人尋問が行われた。
市東さんの営農にとって団結街道(成田市道・天神峰―十余三線)は自宅と南台農地を直線で結ぶ、必要不可欠の道路であったが、成田空港会社(NAA)の「3本目の誘導路をつくるのにじゃまだ」との意思を受けた成田市は、2010年6月にこの道を暴力的に封鎖し、その土地を格安でNAAに売り渡すという暴挙をはたらいた。市東さんはじめ住民が原告となり、廃道処分の違法を追及してきたのがこの裁判だ。
反対同盟と支援の労働者・学生・市民が傍聴席を埋めて開廷。反対同盟顧問弁護団による主尋問に答えて、市東さんは自らの営農の実情から語り始めた。
父・東市さんが1999年に亡くなり、50歳を前に孝雄さんは天神峰に帰り、農業と空港反対闘争を引き継いだ。市東家は祖父・市太郎さんの代から100年あまりこの地で営農を続けてきた。団結街道は江戸時代から地域の住民によって使用されてきた道であり、NAAが「廃止が前提の道路」などと言う資格などない。
市東さんは、「南台農地と自宅を車で1分で結ぶこの道を毎日数往復し、営農で使わない日はなかった。自分だけでなく、郵便局や宅配便の車も使っていた」と述べた。
2010年の2月に成田市長から市東さん宛てに手紙が来た。「新たな誘導路整備に伴い、市道を廃道とする必要が生じた。3月議会に付議する予定」という一方的通告だった。到底納得できるものではない。
市東さんは2月の成田市の定例議会を傍聴したが、当事者である市東さんの生活と営農に及ぼす被害・負担は無視され、既定の方針として廃道へ向けた手続きを進めているようだった。足立満智子議員が反対の立場から、「廃道にしないで誘導路との交差部分をトンネル化することは検討したか」と問いただしたが、市の土木部長は答えなかった。

市東さんの自宅と南台農地を結んでいた団結街道は2010年6月に暴力的に閉鎖・破壊され、そこに第3誘導路が建設された

また付け替え道路や機能補償道路についての説明も、一切されてこなかった。市東さんが機能補償道路について知ったのは、5月頃に団結街道の通行禁止予告看板が出された時だった。かつてこの法廷に証人として立った小泉成田市長は、「機能補償道路ができれば市東さんの不利益は解消」などと述べたが、現場を訪れたこともない市長のこの言いぐさについて、市東さんは「市長は何も考えていない」と怒りを表した。
この年の5月17日にNAAは市東さんの自宅前に団結街道の閉鎖を予告する看板を設置した。これに対し強く抗議したことで、市東さんは「器物損壊」で千葉県警に不当逮捕され、農作業が忙しい時に23日間も勾留された。
そして6月28日に、夜陰に乗じて街道の封鎖が強行され、南台農地の周囲は高いフェンスで囲まれた。
こうした経過を市東さんは落ち着いた声で振り返っていったが、一つ一つの事実は成田市とNAAが一体で(自治体が一企業の手先になって)市東さんという一農家の営農を妨害し追い出そうとする異様なまでに卑劣で暴力的な攻撃であり、傍聴者は怒りをかき立てられた。
質問は、現在市東さんが被る不利益の具体的内容に進んだ。自宅から南台耕作地まで直線で500メートル、トラクターで2分、軽トラで1分で行けた距離だったのが、大きく迂回して交通量の多い道路を進み、1800メートルもの道のりを通らなければならなくなり、時間は4倍かかるようになった。一日に数往復し、真夏に雨が降らないときは十数往復して畑に水をやらねばならない。「14年間分の時間のロスは?」との問いに市東さんは「1日1時間として5000時間」と言明した。
また、17年には市東さん宅に援農に入っていた人が、この道で追突事故に遭い重傷を負った。このように危険な迂回路を日々強いられているのだ。
さらに市東さんは、13年に第3誘導路が完成して以降の騒音がひどさを述べた。朝6時には第一便が到着。騒音は深夜まで続き、寝付けないこともたびたびだ。
弁護団は、空港施設と交差する道にいくつかのトンネルが存在していることを示し、「団結街道もトンネル化すれば廃道にする必要がなかったのでは」と質問した。市東さんはトンネル化については検討も何もなかった旨を述べ、「私一人が団結街道を使っていたわけじゃない。封鎖されたことを知らずに車で道の入口まで来た人から『なんで勝手に道を閉じたんだ!』と私が文句を言われたこともある」と悔しさをにじませた。
そして最後に市東さんは裁判長に向かって自らの意思を強く述べた。「NAAは、空港機能強化によって年間の発着を50万回に増やすなどと右肩上がりの予測を言っているが、そんなものが必要か。実際に開港から40年以上たっても30万回も実現していない。空港よりも農地の方が大切だと私は確信している。農民にとって農地は命。土地がある限り、農業をやり続けるという私の気持ちは変わらない。裁判所に対しては、廃道処分を取り消して元に戻せと言いたい。空港一辺倒のやり方をやめ、公正な判断を下すべきだ」

NAA代理人 長屋文裕

市東さんの揺るぎない姿勢に、傍聴席から拍手が湧いた。
反対尋問に立った被告・成田市の代理人・杉本は、「迂回ルートは1800メートルではなく、1200ではないのか」などと問い、市東さんの被害をできるだけ小さく描こうと無駄な努力をした。
同じく被告・NAA代理人の長屋文裕は「市東さんは3月18日の耕作権裁判の法廷で、ご自分の2~3月の野菜の栽培状況について説明し、『今何も困ったことはありません』とおっしゃいましたよね」などと、愚にもつかないことを述べ立てた。市東さんが日々空港によってどれだけひどい不利益、営農妨害、追い出し攻撃を受けているか、そしてそれらを全力で打ち返して営農を成り立たせる努力をしているかの説明を聞いておきながら、その加害当事者が「何も困っていないと言っただろう」などと言い放ったのだ。許しがたい発言だ。
裁判長は次回期日を来年1月24日とし、さらに次々回の2月28日を最終準備書面の提出、弁論終結とすることを告げて閉廷した。
千葉県教育会館で、伊藤信晴さんの司会で報告集会が行われた。最初に長い陳述を終えた市東さんが、「聞きづらかったところもあったかも。これからもがんばります」と簡潔にあいさつした。さらに弁護団が発言し、廃道処分の違法性(道路法第10条の廃道の要件「一般交通の用に供する必要がなくなつたと認める場合」に当たらない)を暴き、最後までとことん追及する姿勢を明らかにした。

団結街道裁判開廷に先立ち、反対同盟と支援連は千葉地裁前で情宣活動を行った。「耕作権裁判で農地強奪判決出すな! 軍事空港と戦争に反対!」とマイクで訴える伊藤信晴さん

動労千葉の山田護さん、市東さんの農地取り上げに反対する会、全学連が連帯発言に立った。全学連の学生は、「日米共同演習キーンソードで全国の空港を使って訓練が行われている。人生をかけた反対同盟とここにいる皆さんの闘いに応え、成田軍事拠点化を許さず空港を破壊するまで闘う」と決意を表した。
伊藤さんが当面する闘争スケジュールを確認し、耕作権裁判とともに結審が迫るこの団結街道裁判に勝利する決意を全員でうち固めた。
開廷に先立ち、反対同盟と支援連は千葉地裁前で情宣活動に立ち「耕作権裁判で農地強奪の不当判決を絶対に許さない」と訴えた。(TN)

スケジュール
◎「空港機能強化」フィールドワーク 11月13日(水)午前10時 天神峰の市東さん宅前集合
◎空港拡張差し止め裁判 12月24日(火)午前10時30分開廷 千葉地裁
◎12月に現地闘争(集会、デモ)を予定

反対同盟の情宣中、防弾チョッキと警杖で武装した千葉県警の警官が現れ、「不審物がないか」と裁判所周囲の茂みを検索。自民党本部火炎瓶事件で無力性をあばかれた警察は焦っている

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