自国政府と闘い戦争とめる 反戦掲げ労働者国際連帯集会
11・3全国労働者集会に先立つ2日、千葉市内で労働者国際連帯集会が開催された。230人の結集で会場は満杯になった。世界の労働者の闘いを生き生きと伝えるビデオの上映に続き、動労千葉の佐藤正和副委員長と全学連の西村凌風書記次長の司会で集会が始まった。
主催者あいさつで動労千葉の関道利委員長は、米日帝国主義が中国侵略戦争の準備を急ぐ中で労働者の国際連帯を20年以上守り抜いていることの意義を確認。解雇を撤回させ正規職として現場復帰した韓国の金属労組旭硝子(ガラス)支会の勝利を喜び、非正規職撤廃闘争をさらに前進させ、何より国際連帯の深化を日本の階級的労働運動の発展につなげようと強調した。
全国金属機械労組港合同昌一金属支部の木下浩平委員長の連帯あいさつに続き、ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の清水早子さんが特別アピール。中国侵略戦争に向けたミサイル基地化を具体的に暴露し、これと対決する激しい実力闘争が闘い抜かれていることを報告して「琉球弧を戦場にさせない労働者民衆の闘いを」と訴えた。
世界の労働歌で会場が沸く中、海外代表団が次々と発言した。
韓伊独ブラジルの代表団が次々発言
民主労総ソウル地域本部のキムヘジョン首席副本部長は、2003年に始まった動労千葉との連帯が韓国での闘いに「労働者は一つだ」という確信と希望を与えたと語り、この力で新たな社会をつくり出すと決意を表明。「止めろ!戦争」「高めろ!労働権」「つくろう!労働者勢力」の3点にわたって訴えた。
旭支会からはソンドンジュ副支会長とイヨンミン代議員が来日し、今後も日韓連帯を貫いて共に闘う決意を表明した(要旨別掲)。
ドイツ「鉄道労働者ネットワーク」のウーヴェ・クルークさんは、戦争に反対するドイツの鉄道労働者の組織として、労働者による職場支配権の確立、さらには鉄道の労働者管理を展望して闘っていることを報告。そして、ウクライナ、中東での戦争、中国をめぐる戦争危機を止める力もここにあると訴えた。
イタリアからは、初めて来日した職場委員会全国連合(S・I・Cobas)の仲間が発言した。自国政府の軍拡に反対してデモやストライキを闘っていると報告し、アジアが労働者の闘争と革命の中心地となることへの期待を語った。
ブラジル・全国闘争連盟(CSP―Conlutas)からは、ファビオ・ボスコさんが同組合員であるパートナーのアニー・ファビオラさんと15年ぶりに参加。イスラエルを支援し全世界で軍事同盟構築・基地建設を進める米帝を弾劾し、自国政府と闘う労働者階級の力でイスラエルへの資金・兵器の提供を阻止しようと訴えた。トルコ・国際労働者連帯協会(UID―DER)のビデオメッセージも上映された。
闘いの主体として在日外国人が決意
在日ビルマ市民労働組合のテンテンウさんは、ミャンマー軍が兵役を義務化し多くの青年が未来を奪われる中でも日本政府が続ける軍への支援を直ちにやめさせようと呼びかけた。
在日外国人労働者として、広島連帯ユニオン執行委員で在日3世・被爆3世の鄭伊佐さんは、戦時下の入管法改悪を弾劾し「入管体制下で苦しむ在日外国人は救済の対象でなく闘いの主体だ」と力強く宣言。在日中国人労働者は「中国の労働者人民は決してスターリン主義の弾圧に屈していない」と断言し、世界革命の一翼を担う重要な部隊として、日本革命、中国第二革命を切り開く鮮烈な決意を述べた。難民申請中の在日スリランカ人も発言し、改悪入管法下の難民の実情を告発。戦争を止めるため共に闘おうと呼びかけた。
最後に動労千葉国際連帯委員会の鎌田由子さんが、「今日の集会は闘いの結晶だ。国際連帯の力で日帝を打倒しよう」と、翌日の集会への総決起を訴えた。
旭支会組合員の報告(要旨)
●ソンドンジュ副支会長
最初に改めて感謝をお伝えします。旭硝子の非正規職労働者は2015年6月、労働組合をつくったという理由で178人が解雇されました。私たちは工場前にテントを張り、韓国・日本の同志たちと連帯して9年闘いました。国境を越えて労働者は一つだという労働者階級の精神を日本の同志たちから学びました。
日本の資本と闘う韓国の労働者と、日本の労働者が9年間連帯するとは思いませんでした。同志たちを見て「連帯とはこういうものなんだ」と気づきました。私たちが日本に来られなくても、東京のAGC本社前で抗議行動を最後までやってくれました。
同志たちの貴重な連帯は、私たちが長い間揺らぐことなく闘うことができた理由です。連帯の力でついに勝利することができました。今後も私たちは民主労組を死守し、現場で一生懸命闘います。
●イヨンミン代議員
突然解雇され闘っている時、ソンジュ(星州)のソソンニに戦争武器サード(高高度迎撃ミサイルシステム)が配備されました。私たち旭硝子支会はサード配備に反対し、地域住民と8年連帯してきました。米韓の政府は、北朝鮮のミサイルの危険から国民を守るという偽りの口実で、サードを住民の同意もなく一方的に配備したのです。
サードがソソンニに来た日は戦場でした。道路は警察がすべて遮断し、警察の暴力で私たちの宣伝カーも窓ガラスを壊され、車から強制的に引きずり出されました。
ソソンニの集会に行くと、戦争反対を叫ぶ日本の同志たちが思い出されます。旭硝子闘争と同様、ソソンニの闘争もやがて勝利すると信じています。
この記事へのコメントはありません。