特集
大坂正明同志は無実
ガス銃水平撃ちを追及 大坂さん第3回公判
元警察官らのうそを暴く
11月1日、大坂正明同志の第3回公判が東京地裁刑事第4部(高橋康明裁判長)で開かれた。前回同様、大坂さんと団結し弾圧を打ち破ろうと多くの仲間が早朝から傍聴券を求めて集まった。
この日も大坂同志は元気に出廷。まっすぐ前を向き、不屈の闘魂を示した。前回に続き、元警察官2人の証人尋問が午前と午後、一人ずつ行われた。11・14闘争で新潟県警の機動隊は阻止線を張り、ガス銃の水平撃ちをし、デモ隊の進行を妨害した。しかしデモ隊はこれを一気に打ち破った。その中で負傷した2人の証人尋問だ。
開廷時に裁判長は「毎回話しますが、立ち上がったり、大きな声を出したり、尋問に声を出したり、悪態をついたりしたら即刻退廷を命じます」と強権的訴訟指揮の姿勢を見せた。
前回公判での元警察官証言は、3人とも何を聞かれても覚えていないの一点張りで、50年以上前の事件の裁判などおよそ成り立たないことがあらわになった。今回もデモ隊との衝突について具体的なことは一切覚えていないと繰り返しつつ、自らが負傷したことや中村巡査が死亡したことについて「被害感情」を大写しにし、大坂同志ら沖縄闘争のデモに立ち上がった人々を口汚くののしった。
弁護団は反対尋問で、阻止線を張りデモ隊に向けてガス弾を水平撃ちした新潟県警機動隊(富澤小隊)の違法な暴力行使について鋭く追及した。神山交番前で対峙するデモ隊に向け、機動隊員がガス銃を水平に構える決定的写真を示された証人らは、動揺を必死に隠しながら「記憶にない」「ガス銃の発射を命じたことはない」「新潟県警はガス銃を撃ったことはない」「逃げるのに必死で、ガス銃の音など聞いてもいない」「ガス要員(ガス銃を担当する機動隊員)が誰だったかも覚えていない」とあからさまなうそを繰り返した。だが富澤小隊の第3分隊長だった戸田勝紀は、追及にたまらず「中村巡査にガス銃を持つよう指示したのは私」と言い始めた。戸田は死亡した中村らがガス銃を撃ったこと、自らが発射を命じたことを必死になって隠し、「中村の両親に代わって『息子を返せ』と言いたい」などと、またしても「被害感情」でごまかそうとした。絶対に許せない!
元機動隊員らの尋問を通じ、でっち上げ裁判粉砕へ突き進む大坂同志と弁護団、救援会の闘いに権力は決定的に追い詰められている。次回公判は11月10日(木)午前10時開廷。デモ参加者(故人)の公判調書採用手続だ。でっち上げ調書の採用を許さない傍聴闘争に集まろう。検事側立証粉砕の年内公判闘争を闘いぬこう。