シカゴで1930年代以来の工場占拠闘争が闘われる
12月5日、米イリノイ州シカゴで窓枠・ドア製造会社、リパブリック・ウィンドウズ&ドアズの労働者250人が工場を占拠した。2日前、会社が突然、労働者に工場閉鎖を言い渡した。工場閉鎖自体が不当だ。つい先日まで会社は経営は順調だと語っていたのだ。そのうえ、工場閉鎖の際には60日前に予告するという法律上の義務を果たしていない。「設備を押さえろ。工場に座り込み占拠しよう!」。工場が閉鎖される当日、占拠闘争が始まった。(写真は工場内に座り込む労働者。クリックすれば拡大します)
バンクオブアメリカ(BOA)が急に融資を停止し、資金がショートしたのだというが、会社側は深夜に高価な機械を運び出したことが発覚した。労働組合がある工場を閉鎖して、組合がない地域に新工場を作るというやり口なのではないかという疑惑が広がった。工場占拠闘争に入った250人が属する組合は、独立系のUE(統一電機労組)だが、AFL-CIO(米労働総同盟産業別組合会議)傘下のシカゴ教組やCTW(勝利のための変革)傘下のチームスターズなど多数の組合がその日のうちに支援にかけつけた。
BOAは、10月初旬に決定された緊急金融支援金700億㌦の救済を受けた大銀行の一つである。「税金で救済を受けながら、労働者の賃金支払のための融資もしないのか」と怒りが広がった。10日に行われたBOAのシカゴの店舗に対する緊急抗議闘争には短い準備期間にもかかわらず、1000人以上が結集した。また、全米各地のBOA支店でも抗議行動が行われた。
ブルジョアマスコミも全米で「30年代以来のシットイン(シットダウン)、工場占拠」というニュースを流した。「30年代のシットダウン」とは、ゼネラルモーターズの基幹的な大工場だったフリント工場で1936年~37年に行われた工場内座り込み、占拠闘争のことだ。フリントが全米のGM工場に金型を供給していたため、労働者のフリント工場占拠はGMに戦略的な打撃を与えた。GMはそれまで行ってきた労組破壊攻撃を改め、組合を承認する協定を結ばざるをえなくなった。このシットダウン・ストライキの勝利が瞬く間に全米に広がり、全米自動車労組は数十万の新組合員を一挙に獲得したのだ。
今回占拠されたリパブリック社は、フリントに比べ、はるかに小規模だ。だが、これが今、大リストラ攻撃を受けている自動車労働者に火をつけたら大変なことになる。ブルジョアジー自身が、自動車産業の救済策=リストラによって30年代階級闘争が再来するのではないかと恐怖し、イリノイ州知事やオバマまでが占拠闘争の正当性を認める発言をせざるをえなくなった。
この圧倒的な工場実力占拠と支援闘争の嵐の中で、12月10日、BOAは「退職金、解雇予告手当分は融資する」と発表し、逃げていたリパブリック社も交渉に応じた。現場労働者は占拠を続けると言っていたが、UE指導部は、退職金、解雇予告手当、2カ月の医療給付継続で妥結し、占拠を解く方針を出した。だが、「生きさせろ!」「資本家の資産持ち逃げを許すな!」という止むにやまれぬ要求から始った実力占拠闘争は、職場の労働者の団結を圧倒的に強化した。団結して闘えば、資本家が恐怖し、うろたえるのだということを全米の労働者がまざまざと見た。「勝てるぞ!」という自信が全米に広がった。
(写真は「UE バンクオブアメリカ、あんたらは救済された。われわれは売り払われた」のプラカードを掲げて抗議行動に立つ労働者)
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