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イミョンバク独裁政権打倒! 「ノムヒョン追悼」で500万人が街頭決起

 ノムヒョン前大統領の自死によって、イミョンバク政権に対する韓国労働者階級人民の怒りが爆発過程に入っている。
 5月23日の自死以降、5月29日の国民葬までに全国で実に500万人が、各地に設けられた焼香所を弔問した。一方、国家権力は、民衆独自の弔問行動を阻止しようと、むき出しの暴力を発動し、各地で激突が発生した。


 政府が葬儀費用の一部を負担する29日の国民葬はソウルの景福宮で行われたが、民衆は独自に各地に焼香所を設置し路祭(出棺の祭、路上での祭祀)を行い、ソウル市庁前広場には50万人が結集した。権力は全国から6万人の警察を動員し、解散を迫ったが、参加者は「殺人政権イミョンバクは退陣せよ」と叫び、市庁前広場を死守した。しかし、国民葬が終わるやいなや国家権力はその正体をむき出しにした。
 翌30日未明、市庁前広場で討論し、あるいは休んだりしていた人々に警察が襲いかかり、警察バスによって広場を封鎖した。これにより、ヨンサン撤去民殺人鎮圧全国民対策委や、貨物連帯パクチョンテ烈士対策委、民主労総、大学生などが午後4時から市庁前広場で予定していた「5・30汎国民大会」が開けなくなり、参加者は近くの大漢門に集まり、「独裁打倒、イミョンバク退陣」を叫んだ。
 労働組合もこの闘いに合流した。公共運輸連盟と貨物連帯は、午後2時にヨイド公園で集会を開き、ソウル中心部の闘いに合流した。一方この過程、全国各地では、双龍自動車の整理解雇撤回無期限ストなど大小事業所のストライキが闘われており、ノムヒョン追悼の波と相まってイミョンバク政権をとことん追いつめている。政権与党の内部でも分裂が表面化し、ハンナラ党若手グループが6月1日、党指導部の総辞任とイミョンバク大統領の事実上の謝罪を強く要求した。
 こうした中、最大野党・民主党の支持率が04年9月以来4年8ヶ月ぶりにハンナラ党を上回るという現象も起きている(ハンギョレ新聞世論調査)。しかしこのことは、労働者階級の怒りが再びノムヒョン的な体制内勢力に収れんされることを意味しない。「民主」の仮面をかぶったノムヒョン的な階級支配の在り方が破産したからこそ、むき出しのブルジョア独裁を貫くイミョンバク政権が登場したのであり、ノムヒョンの死は、もはや労働者階級の未来を決するのは労働者階級以外にないことを象徴的に告げ知らせたのである。
 ここで重要なことは、民主労総という階級的存在とその闘いだ。民主労総は、全世界で新自由主義攻撃が労働者階級を襲い、労働組合つぶしが吹き荒れている真っ直中の1995年に誕生した。軍事独裁政権崩壊後のキムヨンサム政権でもキムデジュン政権でもつぶせなかったその闘いは、しかしノムヒョン政権が登場する中で、その中央が急速に体制内化の傾向を示しはじめた。だが、現場労働者の、自分たちの労働組合を死守する闘い、スト、ハンストろう城、そして焼身と、文字通り命をかけた不屈の闘いが、民主労総の体制内化を許さなかった。だからこそイミョンバク独裁政権が引きずりだされてきたのだ。したがって、ノムヒョンの死を契機に爆発している全人民的怒りは、民主労総という階級的存在を守りぬいてきた韓国労働者階級の力がその根底にあるのである。
 激動情勢は今後さらに続く。民衆側による「市民焼香所」は、作ってはつぶされ作ってはつぶされの攻防の中でノムヒョンの四十九日に当たる7月10日まで設置される。また、この間の闘いを主導した「市民追慕委員会」は、1日に6・10汎国民大会準備体制に転換し、野党や労働団体、宗教団体などとともに「6・10民主抗争22周年汎国民大会」をソウル都心で開くことを予定している。さらに金属労組は、双龍自動車などの構造調整に抗議する集会を3日にソウル都心で開催し、10日には2時間ストに入る方針を打ち出している。貨物連帯も、トラック労働者の労働基本権保障、78名の集団解雇者の職場復帰、運送量削減の撤回など要求して6・11全面スト突入を宣言した。
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