市東さん農地裁判、最終弁論で裁判所とNAAらを圧倒
3月27日、三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの農地裁判の最終弁論が、千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で行われた。3・24三里塚現地総決起集会の高揚を引き継ぎ、「農地を守れ」の一心で全国から183人の労農学人民が駆けつけ、ともに闘いぬいた。
開廷に先立つ午前10時、雨の千葉中央公園で反対同盟の呼びかけによる集会が、萩原富夫さんの司会で始まった。
最初に北原鉱治事務局長が発言に立ち、「闘わなければ、労働者・農民の生きる権利がなくなってしまう。頑張りましょう!」と一同を鼓舞した。
続いて動労千葉の田中康宏委員長が、「3・24での市東さんの固い決意をわがものとして闘う。労農の結合した力で安倍政権の極限的な新自由主義・外注化攻撃を粉砕しよう」と訴えた。関実、沖縄の発言に続き、全学連の斎藤郁真委員長が、「偉大な三里塚・労農同盟の地平を、今日の行動で守りぬこう」と決意を表した。
シュプレヒコールを上げてただちに千葉市内デモに出発。最先頭に市東さんが立った。雨をものともせずデモは力強く進み、農地収奪の攻撃と闘う農民の存在をアピールした。
デモが千葉地裁に到着すると、ただちに参加者は地裁建物を「人間の鎖」で包囲して「農地を守れ!」のコールを一帯に響かせた。さらに「反対同盟の歌」を大合唱し、裁判に臨む意気込みを知らしめた。
午後1時30分開廷。まず市東さんが立ち、陳述を行った。「NAAが農地明け渡しの仮執行を求めていることに対し、強く抗議し撤回を求める。農地は農民の命である。空港が公共だというなら、農業の公共性はそれにまさる。違法を積み重ねたNAAの明け渡し請求を認めることは、断じてできない。私はこの地で農民として生きる。耕す者に権利あり。裁判長に農民の声が届くよう念じる。農地を守る私の闘いは、沖縄、福島、そして労働者との連帯の証だ」
この誇り高い宣言は全員の胸を感動で満たし、法廷に大きな拍手が鳴り響いた。
続いて反対同盟顧問弁護団がこの日のために心血注いで作り上げた193㌻の最終弁論を読み上げた。6年にわたるこの農地裁判の集大成と呼ぶにふさわしい内容だ。
この裁判は、事業認定が失効し土地収用法による強制収用が不可能になったのに、農地法を悪用して民事裁判で市東さんの土地を奪おうとするものだ。明け渡しの対象地は市東さんが祖父の代から耕す農地の実に66㌫、9260平方㍍! だが農民の権利を守るための農地法をつかって、農地を奪うなどという暴挙が許されるのか。
空港公団=NAAのやり口は違法に満ちている。市東家に秘密裏に底地を買収し、転用もせずに十数年も放置しておきながら、突然地主の顔をして賃貸借契約の解除を迫り、裁判にまで訴えたのだ。だが土地の位置特定に使われた「同意書」「確認書」は、市東東市さん(孝雄さんの父)の署名が偽造された偽造文書だった。また、南台の農地は空港敷地外にもわたっている。NAAはその土地の転用計画が必要であることに気づき、後から「資材・特殊車両の置き場だ」と急遽デッチあげたのだ。
千葉県知事の解約許可決定は無効である。NAAには明け渡しを求める資格がない。
千葉地裁は「国策」の名で進められるこの農地収奪の手先に成り果てるのか。――
多見谷裁判長はつとめて無表情を装っていたが、この最終弁論の迫力に完全に圧倒されていた。NAAと千葉県の代理人弁護士は自分たちの悪行を逐一暴かれ、終始うつむいたままだった。
最後に判決期日を7月29日(月)として閉廷した。
法廷と呼応し、午後は2回目のデモと裁判所前でのリレートークが繰り広げられた。
近くの会場で報告集会が開かれた。市東さんは「みなさんとともに6年間の裁判をがんばりぬけた」とあいさつし、大きな拍手を浴びた。北原事務局長は弁護団の奮闘を心からねぎらった。
4時間にも及ぶ弁論を全員の力でやりぬいた弁護団が一人ひとりあいさつした。葉山岳夫弁護士は「内容では負けることはありえない。だが国策裁判ということで、裁判所は無理やりに不当判決を書こうと努力するかもしれない。今日は一つの山場を越えたが闘いはまだまだ続く」と、さらなる支援を要請した。
萩原進事務局次長がまとめの発言を行った。「3月まで駈けぬけた力で7月の判決までに、例えば成田駅前から毎週日曜日に市東さんのところへ現地ツアーのバスが出る、そういう状況をつくれないものか真剣に考えよう。人を集める努力をして反動判決粉砕の展望も開ける。これからが勝負だ!」と熱を込めて提起した。
最後に司会の伊藤信晴さんのリードで団結ガンバローを三唱し、一日の激闘を締めくくった。(TN)
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