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三里塚耕作権裁判 「NAAの土地取得は無効」と弁護団が陳述

20150918d-1.JPG 9月14日、千葉地裁民事第2部(岸日出夫裁判長)で、市東孝雄さんの耕作権裁判の弁論が開かれた。
 反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者・農民・学生・市民は、農地法裁判上告審と表裏一体の裁判闘争として、「農地死守」の決意も固く市東さんとともに闘いぬいた。支援連は早朝から裁判所前に陣取り「裁判長は訴訟を却下せよ」と訴え、横断幕を広げ、ビラをまき、シュプレヒコールを行った(写真)。

 約70の傍聴席が満席となる中で、午前10時30分に開廷した。前回出された原告・NAAの主張に対して、弁護団は徹底的に反論し批判し粉砕する70㌻を超す分厚い準備書面を提出し、陳述した。
 ①原告のNAA=空港公団は1988年に、耕作者である市東東市さん(孝雄さんの父・故人)に無断で旧地主から南台農地の底地を買収し、転用計画も立てないまま15年もそのことを隠して保有し続けてきた。これは不在地主による小作地所有を禁じた農地法第6条に違反している。
 ②「新東京国際空港公団用地事務取扱規程」38条は、「取得する土地に用益物権、担保物権等が設定されている場合は、これらの権利を消滅させるものとする」と書かれている。借地権を持つ小作者である東市さんの同意がないまま地主から底地を買い取ることは、この規程に完全に違反し、憲法第29条(財産権の保障)に違反している。
 ③NAAは市東さんの南台の耕作地のうち、「41―8」「41―9」を賃借契約地とし、それ以外を「不法耕作」と決めつけて提訴した。だが「41―9」を市東家が耕作したことは一度もなく、ここは石橋家が屋敷林として占有していた。この事実は、70年当時に空港公団自身が強制収用のために作成した図面や航空写真からも明らかだ。NAAが証拠提出した「同意書」「境界確認書」添付の図面による位置の特定は誤りだ。耕作状況をまったく把握していない旧地主・藤﨑と協議しながら、公団が無理やり作ったずさんな代物だ(署名は偽造)。
 ④南台の市東さんの耕作地には、石橋家の申し出により交換した土地、さらに元々の耕作者が移転し放棄した土地が含まれている。いずれも東市さんは1972年に地主・藤﨑と協議し承諾を得て、そこを耕作し、毎年賃借料を支払い続け、何の問題も起きていない。20年が経過した92年に、東市20150918d-2.JPGさんは賃借権を時効取得している(民法第162条)。
 ⑤そもそもNAAが市東さんに「土地を明け渡せ」などと迫る資格があるのか。本件農地売買については農地法第5条(転用のための売買規定)は適用されず、また、同第3条(農地のままの売買規定)に違反し無効である。NAAには農地の所有権がない。
 弁護団は、⑤を次回以降、さらに具体的に検討し主張することを予告した。次回期日を12月14日として閉廷。
 千葉県弁護士会館で報告集会が開かれ、伊藤信晴さんが司会を務めた。最初に市東孝雄さんが前日の群馬集会往復の疲れも見せずあいさつに立ち、国会決戦の多忙の中での傍聴にお礼を述べ、「私が天神峰で農業を続けるために、この裁判で必ず勝ちます。NAAを追いつめ、ともに闘いましょう」と訴えた。
20150918d-3.jpg 続いて葉山岳夫弁護士を始め弁護団全員が発言し、この日の主張を中心に法廷を解説し、NAAの卑劣な言い逃れを許さず、この裁判で徹底的に攻勢をかけることを明らかにした。
 連帯のあいさつとして、動労千葉、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会、全国農民会議が発言した。
 動労千葉の滝口誠さんは、「戦争法案に反対して労働者人民が連日国会を包囲している。安倍は大ピンチだ。動労千葉も職場での闘いが決戦になっている。労働者の戦争動員を許すのかどうかの攻防だ。反対同盟との労農連帯を打ち固め、安保国会決戦と10・11大結集へ闘います」と決意を述べた。
 全国農民会議の市川勝三さんは、理不尽な農地取り上げ攻撃に怒りを表し、市東さんとともに闘う決意を述べた。
 最後に反対同盟事務局の萩原富夫さんがまとめのあいさつに立ち、前日の国会前での闘いを報告しながら、「緊急5万人署名、賛同人署名の推進を強く訴えます。三里塚は50年にわたり不屈に闘ってきた反戦・反基地の砦として、この情勢の先頭に立ちます」と決意を表し、10・11への大結集を呼びかけた。
 集会終了後、休む間もなく反対同盟と支援連は国会前へと出発した。(TN)

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