労働者と共に歩んだ革命家 藤掛同志しのびお別れ会
昨年12月19日に亡くなった藤掛守(本名・鞍田洋=くらたおおみ)同志お別れ会が2月18日、都内で開かれ、全国から150人の同志・友人が集まった。革命的共産主義運動の創成期から加わり、その土台を築いてきた藤掛同志の在りし日を偲(しの)び、その遺志を継ぐ決意を固めた。
動労東京の吉野元久委員長が司会を務め、最初に革共同の天田三紀夫書記長が追悼の言葉を述べた。60年間、人生の大半を革命に投じた藤掛同志について、①スターリン主義と決別し新しい労働者党をつくる先頭に立った、②70年代の破防法攻撃とカクマル反革命との内戦の中で前進編集長として任を全うした、③地方の労働戦線のオルグを全力で担い、闘いぬいた、④国際労働運動の先頭で闘いを切り開いた、などのことを偉大な足跡として挙げ、これを継いで実践方針に高め、18〜20年の改憲阻止を闘いぬき、藤掛同志の実践をしっかり受け継ぐことを誓った。
動労千葉の田中康宏委員長は追悼の言葉(代読)を寄せ、「労働者階級の優れた理論家であった藤掛さんは、動労千葉の最高の理解者だった」として、「動労千葉の労働学校の運営全般に協力し、労働運動の再生の基礎を定めてくれた」人として藤掛同志をたたえた。
動労水戸の高野安雄副委員長、全金本山労組の長谷武志副委員長が、それぞれ厳しい闘いを藤掛同志が共に闘ったことを明らかにした。高野さんは、動労水戸誕生に至る6年間の藤掛さんの指導があって今日があることを強調し、長谷さんは「一番厳しい時に何度も仙台に駆け付け、最後まで本山闘争を導き励ましていただいた」と感謝の言葉を述べた。
NTT労組(元全電通)の広島、東京、長野、福島の労働者が前に並び、一番濃密な関係のあった産別として藤掛さんと共に歩んだ闘いを振り返った。穏やかだが、譲れないところは厳しく叱咤(しった)してくれたと懐かしむ言葉が続いた。
同じ法政大学経済学部自治会委員長だった後輩の中田賀統同志は、藤掛同志にマルクス主義、宇野弘蔵「経済原論」を学んだことを回想した。
革共同東京都委員会の代表は、労働者を愛し共に怒り喜び笑いながら闘いぬいた同志の闘いを継ぎ進むことを誓った。前進編集局の同志は『前進』の基礎を築いた藤掛同志に学び続く決意を語った。中央学生組織委員会の同志は藤掛同志が学習会の助言者として生きたマルクス主義を教えてくれたと述べ、遺志を継ぐ決意を表明した。
会場に「インターナショナル」や「同志は斃(たお)れぬ」の曲が流れる中、全員が順に並び遺影に向かって黙祷(もくとう)と献花を行った。藤掛同志の薫陶を受けた多くの参列者は、追慕の念を新たにし、悲しみを超えて前に進むことをそれぞれ誓った。
最後に長年の連れ合いで同志の最期をみとったふじえさんがあいさつに立ち、お別れ会と追悼の言葉にお礼を述べ、「私も鞍田と同じ気持ちを持ち続けて生きていきたい」と静かに決意を述べた。
多くの労働者に慕われ、愛された故人の人柄が偲ばれる心に染みるお別れ会だった。
この記事へのコメントはありません。