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三里塚請求異議裁判で市東さん、萩原さんが圧巻の証言

20180629a-1.jpg 6月28日、千葉地裁民事第5部(高瀬順久裁判長)で請求異議裁判が開かれ、萩原富夫さんの証人尋問と市東孝雄さんの本人尋問が行われた。三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者・農民・学生・市民175人は、この裁判が重大局面を迎える中で、市東さんの農地を守りぬく決意を一層固めてこの日に臨んだ。
 開廷を前に正午過ぎ、千葉市中央公園で太郎良陽一さんの司会で決起集会が開かれた。最初に萩原さんが発言に立ち、「成田空港会社(NAA)による住民無視の空港機能強化策を許さず、今の政治を正す」と、証言に向けて鮮明な決意を表した。
20180629a-2.jpg 続いて動労千葉の田中康宏委員長は、三里塚と連帯して安倍政権の改憲・戦争、働き方改革攻撃を打ち破る気概を示し、7・1国鉄集会への参加を訴えた。
 さらに関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会、市東さんの農地を守る沖縄の会が連帯発言を行った。
 意気高くシュプレヒコール上げ、反対同盟を先頭にデモに出発。宣伝カーからは婦人行動隊・宮本麻子さんが、農地強奪攻撃に対しともに闘うアピールを千葉市街に響かせた。デモは長蛇の列となって地裁に迫り、結審策動を阻止する強い決意を示した。
 60を超える傍聴席を埋めて午後2時に開廷。弁護団の質問に答えてまず萩原さん、続いて市東さんの証言が行われた。

◎萩原富夫さんの証言
 市東さんが親から農業を受け継ぎ、農地を守る姿に心打たれ、ともに闘っています。萩原家は戦後まもなく入植し、1988年から今日まで市東さんとともに「三里塚産直の会」として化学肥料、除草剤などを一切使わない有機農業の産直運動に取り組んできました。会員約400軒に年間60種類もの安全でおいしい野菜を届けています。
 市東さんが二つの裁判で全耕作面積の70%もの農地を取られたら、農業を続けられず、産直も続かなくなります。NAAは市東さんを追い出し、見せしめにすることしか考えていない。NAAという一会社のために農業が犠牲になるなど、あってはならない。
 東峰部落では、成田空港のやり方に全員が怒っています。02年に2180メートルのB暫定滑走路の供用を開始し、人が住んでいる頭上40メートルにジェット機を飛ばしました。03年にはオーバーラン事故が起き、飛行機が東峰神社の手前でやっと止まりました。01年には東峰神社の神社林を伐採、07年には東側誘導路建設による東峰の森破壊が強行されました。
 天神峰の市東さんに対しても13年の第3誘導路の供用開始、10年の団結街道の封鎖などが行われた。
 現にそこに人間が住んでいるのに、飛行機を飛ばすことで出て行くと思っている。ふざけるんじゃない。まず飛行機を止めろ! 空港公団=NAAは小作者である市東さんに無断で、底地を買収し、06年に千葉県知事に解約許可を申請した。こんなデタラメも成田だから許されるというのか。
 これを認めるというなら、裁判所が泥棒に味方するということです。上の意向ばかり気にするヒラメ裁判官になりたいですか。市東さんの農地取り上げは怒りの火に油を注ぐことになるだろう。裁判所はそのことを肝に銘じてほしい。

◎市東孝雄さんの証言
 祖父・市太郎が天神峰の今の場所に1912年に雑貨・飲食などの店を出し、21年ごろに農業を始めました。3代100年近く耕作を続けています。父・東市は14年に生まれ、20歳のときに徴兵され、中国東北部の長春に赴き、その後南方に移動し45年の敗戦で英軍の捕虜としてマンダレーの収容所に入れられ、47年に帰国しました。計8年間兵隊にとられ、帰ってきたときは32歳。地主から借りていた農地は、農地解放でうちの所有地になって当然だったのに、復員が遅れたことで残存小作地になりました。
 NAAが明け渡しを求めている土地は、この民事5部で7284㎡、2部の耕作権裁判で5723㎡、合わせて1万3千㎡以上、私が耕作する農地の73%です。もし取られたら致命的打撃を受けます。
 私は中学校卒業後、外へ出て飲食店で働き、おやじが亡くなって天神峰に戻り農業を継ぎました。反対同盟主催のおやじの追悼集会では、「故人が好きだったった”闘魂ますます盛んなり”の言葉を胸に、農地と家族を守る」と発言しました。おやじは、農地の小作権を絶対に売り渡すなと遺言しているので、「同意書」「境界確認書」に署名・捺印するはずがありません。
 03年に、私の小作地の底地の所有権がNAAに買収されたと新聞記事が出て、そこで初めて知り驚きました。翌日に空港公団が横柄な態度で「話し合い」を求めてきたが追い返しました。私はこの地で農業をやりたいだけです。お金を積めば出て行くというのは、農民を愚弄する考えです。
 それまで地主は何も語らず、こちらが持参した地代をそのまま受け取っていた。公団と一体の卑劣な詐欺です。小作権者に黙って地主が第三者に土地を売るなど、前例もなく違法であり、売買は無効です。
 公団=NAAは「話し合いで解決」「二度と強制手段をとらない」と言いながら、今一方的に土地の明け渡しを私に迫っています。
 農地法裁判一審の多見谷裁判長は、「話し合いが頓挫した場合も強制手段を講じないということにまで言及してはいない」と判決で書きましたが、多見谷が勝手につくった理屈です。
 私は99年の12月に実家に戻り農業を始めました。一番苦労したのは土作りです。表土をもっていけば別の場所でも同じ野菜が作れるというものではない。土壌は生き物です。
 有機農業、産直運動で一番肝心なのは、消費者にうそをつかないことです。露地栽培を基本とし、化学肥料・農薬は一切使わず、堆肥は鶏糞、豚糞などを発酵させてつくり、旬の野菜を届け、400軒の会員家族の健康・安全に責任をもちます。これこそ自分の生きる道だと強く確信し、日本の農業の進むべき道だと思います。農地を取られるということは、農民としての自分の命を取られることと同じです。
 仮に南台農地でこの裁判にかかる土地が強制執行でフェンスなどで囲われたとしたら、隣接する農地も風通しが悪くなりだめになるでしょう。天神峰農地の作業場や農機具置場が壊された場合も、有機農業を続けられなくなります。
 今成田空港は、朝6時から深夜11時まで騒音を撒き散らしています。さらに第3滑走路をつくって周辺住民に騒音を浴びせることなど絶対反対です。
 NAAは私のことを「騒音を承知で帰ってきた」などと言いますが、B滑走路ができたのは私が帰ったあとです。親が亡くなり、帰ってきて100年耕してきた農地を継ぐことのどこが悪いのか!
 NAAは自分で「強制手段をとらない」と公約しておいて、それを踏みにじって強制執行するのは明確に権利濫用です。絶対に認められません。裁判所はこれを絶対に許可しないでください。許可すならそれは裁判所の自殺行為です。裁判所が正義を実現されるよう強く要請します。

20180629a-3.jpg 二人の証言は傍聴者全員の胸を打ち、大きな拍手がわいた。NAAの代理人弁護士は反対尋問を一切放棄した。市東さんは、「上野さん、何か聞いたらどうか」と元千葉地裁判事でNAA代理人弁護士に成り下がった上野至を名指ししたが、当人は黙って俯くのみ。
 弁護団は続いて、専門家証人を採用するよう30分にわたって裁判長に強く翻意を迫った。その粘り強さに圧倒されて、高瀬裁判長はその場で結論を出せず、進行協議を持つことを確認し閉廷した。次回期日は7月17日。
20180629a-4.jpg 近くの会場で、伊藤信晴さんが司会を務めて報告集会が開かれた。
 最初に市東さんが、「もっと怒りを表したかった。これからも闘いは続く」とあいさつし、続いて萩原さんも「怒りをたたきつけることができた」とあいさつして傍聴のお礼を述べた。
 葉山岳夫弁護士を始め弁護団一人ひとりが、計3時間に及ぶ証言の手応えを実感しながらあいさつし、さらに専門家証人採用をかちとる展望を語った。
 北原健一さんが「6・3星野集会で高松に行き、今日も裁判に参加し、自分たちの50年を超す闘いの正しさを確信しています。市東さん、萩原さんとともに反対同盟として闘います」と決意を述べ、大きな拍手を受けた。
 さらに動労水戸の辻川慎一副委員長、福島の椎名千恵子さん、全国農民会議共同代表の小川浩さんが連帯のあいさつを述べた。
 最後に伊藤さんが、「市東東市さんがかつて”代執行来るなら来い”と表した覚悟を、私たちも固める時が来ている」と一同に奮起を促し、7・8天神峰樫の木まつりへの参加を熱く訴えて、一日の闘いを締めくくった。(TN)

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