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三里塚耕作権裁判―法理証人逃亡に怒り

耕作権裁判開廷を前に反対同盟を先頭に千葉市内デモ(11月13日)

千葉地裁民事第2部(齊藤顕裁判長)で11月13日、市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれ、この日からいよいよ人証調べに入り、三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者、農民、学生、市民100人がともに闘った。
開廷に先立ち、正午から千葉市中央公園で、太郎良陽一さんの司会で決起集会が開かれた。
最初に東峰の萩原富夫さんが発言し、この日から毎月人証調べでの開廷が続くことを確認した。そして、ガザ攻撃、ウクライナ戦争情勢のもとで岸田政権が戦争準備を行っていることを厳しく指摘し、成田の軍事使用を許さず、耕作権裁判に勝利して市東さんの南台農地を守り抜くことを呼びかけた。
続いて動労千葉の北村武執行委員がマイクを握り、イスラエルのガザ空爆を弾劾し、11・19全国労働者集会に結集して「虐殺やめろ」の怒りの都心デモに立つことを訴えた。さらに関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会の発言を受け、意気高くシュプレヒコールを上げて、反対同盟を先頭に千葉市内デモに出発した。
婦人行動隊の宮本麻子さんが宣伝カーから、「パレスチナ人民虐殺やめろ! 農地死守」の訴えを一帯に響かせた。警備と称してデモを規制する千葉県警の人員と車両が明らかにいつもより多い。参加者はデモで地裁に鋭く迫った上、法廷に臨んだ。
60を超える傍聴席を埋め尽くし、午後1時30分開廷。
最初の証人は、元空港公団用地部職員の法理哲二だ。ところが……。
齊藤裁判長はまず「法理証人は来られていますか」と言って傍聴席を見渡し、「いないようですかね」などとつぶやく。当然ここにいなければならない法理証人が「いないようですかね」とはどういうことか! 弁護団が問い詰めると裁判長は、法理から電話連絡があり、10月4日、24日、11月2日と3回もやりとりを行い、10月24日には「現時点で出頭するつもりはありません」などと言い放っていたことをしぶしぶ認めた。裁判所から証人として呼び出しを受けた者には、出廷して証言する「義務」がある。法理はそれをあからさまに踏み破ったというのだ。
「そんなことが認められるか!」と傍聴席は騒然となった。
反対同盟顧問弁護団が猛然と抗議した。「法理は天神峰の石橋政次(反対同盟元副委員長)の用地買収交渉を担当していた。本件の最重要争点である石橋家と市東家の南台の当初賃借地の位置を明らかにする上で、法理証人は不可欠だ。拘引してでも出廷させるべきではないか」
傍聴席からは「裁判所が侮辱されたんだぞ!」の声が飛ぶ。
押し黙っている裁判長を弁護団がさらに追及した。「本件の帰趨を決する証人だ。再喚問するという姿勢を明らかにしてもらいたい」。裁判長は「検討させていただく」と答えるのがやっとで、強引に次の証人を呼び出した。

橋本鑑定書より、上は1970年8月24日撮影の南台の航空写真に、関係土地図の境界線(赤線)を重ねたもの。右下に位置しているのが石橋家の宅地だが、E1土地に屋敷林が明らかにはみ出しているのがわかる。下は2008年に土地家屋調査士の青柳晃敬氏が実測し作成した南台の関係土地図

証人は、東京医科歯科大学名誉教授の橋本正次氏。事件や災害で亡くなった人の頭蓋骨と生前の写真などを重ね合わせて個人を識別するスーパーインポーズ法を用いる法歯学・法人類学の専門家である。
弁護団は橋本氏に、1946年から2001年までに撮られた南台(千葉県成田市天神峰字南台)の航空写真15枚と、08年に土地家屋調査士の青柳晃敬氏が実測し作成した南台の関係土地図(A、B、C、D、Eと区分けを表記)を資料として鑑定を依頼した。
関係土地図の境界線を抽出して各年代の航空写真に重ね合わせ、とりわけ最も鮮明に写されている1970年8月の航空写真に重ねることで、何がわかるか。橋本氏は弁護団の質問に答えながら、鑑定結果を次のように明らかにした。
①石橋宅地の北側の屋敷林(針葉樹)の幹は、E1土地にはみ出している。
②はみ出したのは少なくとも1946年より前。
③以上から、屋敷林の設置時点からE1土地は石橋家宅地と一体的に利用されてきたと言える。
④E1とE2は一体的に利用されていたと思われる時期がある。
⑤石橋宅地とE2とまでが一体的に使用されていたかは断定できない。
弁護団は主尋問を終えた。
以上から何が言えるか。石橋家の宅地からはみ出す形で、E1の土地に屋敷林が植えられ、年代を追うごとに徐々に増えている。E1の土地は戦後から石橋家の小作地であり、石橋家が占有していた(87年に移転)。NAAがこの裁判で、E1を「市東家の当初からの賃借地」と決めつけているのは完全に誤りということだ。それが証明されれば、市東さんが「賃借地でない土地を不法耕作している」とのこの訴訟の根幹が崩壊してしまう。
通常は法廷で沈黙を決め込んでいるNAA側が、この日ばかりは追い詰められて浮き足立ちながら反対尋問に立った。上野至代理人は屋敷林がE1にはみ出していることを否定しようと躍起になって、「屋敷林は屋敷の中に植えるもので、はみ出して外に植えるはずがない。土地図が誤っているのではないか」「木の根っこの位置はどうなのか」などと言う。

市東さんが耕す南台農地の現況地図。現在の衛星写真に関係土地図の境界線を重ねた。市東さんはA、B、C、Dを一体として耕作している。A、Bが市東家の当初からの賃借地。C、Dは時効取得している。(今回の鑑定書とは別に前進編集局が作成した地図です)

「植えるはずがない」とは、証明すべきことを勝手に前提にしてしまう混乱だ。「根っこ」を持ち出すとは、「幹ははみ出ても根ははみ出ていない」と言いたいのか? 針葉樹が斜めに生えるとでもいうのか? ほとんど意味不明の悪あがきだ。傍聴席からも失笑とブーイングがやまない。市東孝雄さんも被告席から「それでよく裁判長やっていられたな」と一喝した。(上野は元千葉地裁判事。成田治安法による89年の東峰団結会館強制除去の行政訴訟を担当して反動判決を下す。退官後NAA弁護士に転身。)
また森本哲也代理人は、慇懃(いんぎん)無礼な物言いで橋本鑑定の信用性に傷をつけようとしたが、橋本証人から「私は自分の鑑定から言えることを言ったまで」と一蹴されすごすごと引き下がった。
尋問を終了すると傍聴席から橋本証人に拍手が起きた。
弁護団が再度、法理の再喚問を念押し的に要求すると、唐突に上野が立ち、「法理さんは石橋の宅地と現闘本部の用地交渉をやっただけなので、石橋の賃借地とは関係ない」と発言した。つまり「法理をもう証人に呼ばないでくれ」「法理尋問は困る」と自己暴露したに等しい。再び傍聴席から弾劾の声が噴き上がった。上野のこの一言で、法理の逃亡はNAAがそそのかしたものと十分推察できる。

NAA代理人の森本哲也、上野至(左から)

次回期日として12月18日を確認して閉廷。
近くの会場で伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。最初に市東さんがあいさつに立ち、「向こうの子どもじみた対応にあきれた。これからもNAAをどんどん追い詰めてやっつけていくために、皆さんの傍聴をお願いします」と訴えた。
続いて発言を求められた橋本氏は、「私は自分の専門領域の話をしたわけで、根っこはどうかといわれても地面の下はわからない」と一同を笑わせた。
弁護団がそれぞれ法廷での応酬を振り返り、NAA代理人の卑劣な立ち回りと法理の逃亡を弾劾し、この裁判の勝負の行方をかけて法理の証人尋問を実現する意欲を語った。
質疑応答に続いて、全国農民会議共同代表の小川浩さんが発言した。「普段はしゃべらないNAA代理人があんなにしゃべるのを初めて見て、向こうのあせりを感じた。だいたい他人の屋敷林のすぐ隣りの土地を借りるなど、農民の感覚としてありえないこと。市東さんとともに闘う」
さらに、成田空港周辺住民が、飛行差し止め裁判の第1回が11月28日に千葉地裁で開かれることを報告した。

閉廷後の報告集会であいさつする市東孝雄さん。「NAAを追い詰めよう!」

最後に伊藤さんが、一同の長時間の奮闘をねぎらいつつ、新年旗開きを1月14日に「やすらぎの里」で行うことを告知した。(TN)

スケジュール
◎耕作権裁判 12月18日(月)正午 千葉市中央公園集合→市内デモ 午後1時45分開廷 千葉地裁(証人調べ第2回 賃借地時効取得問題についての専門家)
◎三里塚新年団結旗開き 1月14日(日)福祉センター「やすらぎの里」(芝山町飯櫃)
◎耕作権裁判 1月22日(月) 午後1時45分開廷 千葉地裁(証人調べ第3回 反対同盟法対部で活動していた元永修二さん)

千葉地裁に迫るデモ(11月13日)

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