韓国労働者大会に5万人 動労千葉が合流 戦争阻止へ日韓連帯

5万人が結集したチョンテイル烈士精神継承全国労働者大会で「すべての労働者の労働基本権獲得」のボードを掲げる参加者。最前列には、クォンヨンギル民主労総初代委員長(前列左端)をはじめとする歴代委員長が並んだ。右から3人目が動労千葉・関委員長(11月8日 韓国・ソウル)
関道利委員長、渡辺剛史書記長を先頭とする動労千葉訪韓団は11月8日、韓国・ソウルで開催された全国民主労働組合総連盟(民主労総)主催の全泰壱(チョンテイル)烈士精神継承全国労働者大会に参加した。全学連や青年労働者を含めて約20人が参加し、東京での11・2労働者集会に参加したソウル地域本部をはじめ韓国の労働者との交流を深めた。米日帝国主義が中国侵略戦争に突入し、朝鮮半島をめぐる情勢も激動する中で、日韓労働者階級の国際連帯に戦争を止める力があることを実感する行動となった。(関連記事2、3面)
7~10日の滞在中、動労千葉はソウル地域本部と鉄道労組ソウル地方本部、民主労総本部を訪問。同じく11・2集会に参加した金属労組旭硝子(ガラス)支会のチャホノ支会長・オスイル首席副支会長らとも再会して団結を打ち固めた。
ソウルの東大門(トンデムン)にほど近い平和市場の縫製工場で少女たちと共に働いていた22歳の青年チョンテイルが「勤労基準法を順守しろ!」「私たちは機械ではない!」と叫び、自らの体に火を放ったのは1970年11月13日のことだ。この決起から55年、そして95年の民主労総結成から30年を迎えた今年、トンデムンの大通りを占拠して開催された大会には5万人以上が結集した。
今年の大会は何よりも、昨年末の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領によるクーデター策動を粉砕した勝利の上にかちとられた。民主労総は、昨年11月の労働者大会に続いて開催された「ユン政権退陣第1回総決起」を起点に、労組破壊と戦争政治を推し進めるユン政権と真正面から対決して闘い抜くことを宣言した。そして非常戒厳が宣布されるや否や路上に飛び出し、体を張って文字通り民衆の総決起を切り開いたのだ。
しかし、ユンソンニョル弾劾・罷免(ひめん)を経て就任した李在明(イジェミョン)大統領は「国益重視」「実用外交」を掲げ、労働者階級を裏切り続けている。とりわけ、ユン政権の路線を継承し日米韓軍事同盟強化を推し進めていることは重大だ。10月末にはトランプ・高市と相次いで会談し、原子力潜水艦の建造を打ち出すに至った。米日帝の先兵として戦時体制づくりを推進するイジェミョンは、その一環として、政府・資本との「社会的対話」推進など、120万人のナショナルセンターに成長した民主労総への取り込み策動を強めている。
しかし、韓国の労働者たちは非正規職を先頭に激しい闘いに立ち上がっている。仁川(インチョン)国際空港では、過労死が相次ぐ過酷な労働条件の改善を求めて公共運輸労組インチョン空港地域支部が9月から波状的なストライキに立ち、支会長は10月末から空港ロビーでハンストに突入。ソウル都心の世宗(セジョン)ホテルでは、整理解雇されたコジンス支部長が2月から高空籠城(ろうじょう)闘争を継続している。公共運輸労組全国教育公務職本部は非正規職への差別撤廃などを訴え11、12月のゼネストを構えて闘っている。その闘いの熱気を訪韓団の全員が共有した。
日韓労働者の絆深め チョンテイル烈士精神継承誓う
1995年の民主労総結成から30年を迎えた今年、「主導せよ、新たな時代を! すべての労働者の民主労総!」をスローガンに開催された11月8日の全泰壱(チョンテイル)烈士精神継承全国労働者大会には韓国各地から5万人以上が結集した。ソウル・東大門(トンデムン)の大通りは色とりどりのベストを身につけた組合員で見渡す限り埋め尽くされ、両脇には各労組の旗が翻った。
動労千葉の関道利委員長は、20年以上にわたって連帯を続けてきた民主労総ソウル地域本部のキムジノク本部長と共にステージ近くの最前列で参加した。
冒頭に祝辞を述べた民主労総初代委員長のクォンヨンギル指導委員は「常に求められる闘いの先頭に立って勝利してきた民主労総らしく、これからも歩んでいこう」と檄(げき)を飛ばした。ヤンギョンス委員長は新自由主義と闘ってきた30年を振り返り、業種の壁を越えて未組織の労働者を組織しようと強調。元大統領・朴槿恵(パククネ)、前大統領・尹錫悦(ユンソンニョル)との闘いに勝利した民主労総の団結で社会を変えようと呼びかけた。
闘争現場からの発言では、ソウル地下鉄とソウル都市鉄道で働く労働者を組織する公共運輸労組ソウル交通公社労組のキムテギュン委員長が労働基本権を闘いとろうと訴え、金属労組光州(クァンジュ)全南(チョンナム)支部のチョンジュンヒョン支部長は、アメリカ帝国主義・トランプの経済侵略を弾劾した。
大会の最後に、95年生まれの組合員たちが壇上に並んで決議文を朗読。「すべての労働者の労働権を保障し、韓国社会の自主と平等を実現する日まで闘いをやめることはない」と高らかに宣言した。
集会後のデモは2部隊に分かれ、整理解雇された労組支部長が高空籠城(ろうじょう)闘争を続ける明洞(ミョンドン)の世宗(セジョン)ホテル、そしてソウル地方雇用労働庁へと向かった。街頭からは例年にも増して注目が集まった。
公共運輸労組の事前大会に参加
大会に先立ち、動労千葉訪韓団は同じ会場で開催された公共運輸労組の決意大会に参加した。集会の冒頭、海外代表団として動労千葉が参加していることが紹介され拍手が送られた。
大会あいさつに立った公共運輸労組のオムギリョン委員長は、ユンソンニョル弾劾を経ても労働者の現実は変わらず、むしろ後退していると糾弾。李在明(イジェミョン)政権に対する闘いの強化を呼びかけた。
現場からの発言では、仁川(インチョン)空港地域支部のチョンアンソク支部長が、労働条件の改善を求める組合支会長らのハンストが13日目に入る中、「いつまで労働者が職場で死ななければならないのか!」と怒りを込めて訴えた。
韓国では現在、増加する移住労働者(外国人労働者)との連帯も大きなテーマとなっている。10月には、慶州(キョンジュ)で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)を口実として政府が行った取り締まりによってベトナム人の女性労働者が死に追い込まれる事件が起きた。大会には移住労組に結集する多くの外国人労働者も参加し、共に声を上げた。
動労千葉が韓国鉄道労組と交流 民営化反対で共に闘う
動労千葉訪韓団は11月8日、全国鉄道労組ソウル地方本部を訪れ、交流した。カンジョンナム本部長をはじめ組合員が歓迎し、日本での6・15国鉄集会に参加した仲間とも再会を喜び合った。
自己紹介し合い、日韓双方の闘いについて議論を交わした。鉄道労組ソウル地本は、分割された韓国の高速鉄道の統合を求め、すでにストライキ権も確立して闘争していることを報告。高速鉄道の統合はイジェミョン政権の公約となっているが、「それは鉄道労組の闘いの成果だ」と強調し、イジェミョン政権に依存せず闘い、今年12月までの統合を目指すと述べた。動労千葉から「労働部(日本の厚生労働省に相当)長官に鉄道労組出身の人物が就任したが、闘争への影響はどうか」と質問すると、鉄道労組は「闘争に良い条件ではあるが限界もある。結局、労働組合の力が闘争を決する」と返答、原則的な姿勢に訪韓団は大きくうなずいた。
動労千葉の田中康宏顧問が日本の国鉄分割・民営化が果たした労働運動破壊の影響を報告、渡辺剛史書記長がそれに続いて、だからこそ40年が経っても闘ってきた意義を語り、動労千葉の奮闘を共有した。高速鉄道の統合をめぐる諸課題や職場の現状についても共有し、闘う鉄道労働者同士の論議は盛り上がった。
最後に贈答品を贈り合い、変わらぬ連帯を誓い合った。訪韓団はその連帯感を胸に、午後からの労働者大会に参加した。
高空籠城現場を激励 世宗ホテル解雇撤回へ
8日、労働者大会後のデモ行進がソウル中心部ミョンドンの世宗ホテル前に着いた。見上げた先、アーチ状の道路情報表示装置が高空籠城場だ。世宗ホテル労組の解雇者・コジンス支部長が手を振る姿が見える。
極寒の2月から猛暑の夏を経て、闘いはこの日、268日目に入っていた。「世宗大学財団理事会は世宗ホテル整理解雇を即時撤回しろ!」「復職するまで絶対に終わりはない!」と書かれた横断幕、垂れ幕が金属労組の濃紺の旗と共に掲げられている。
4年前、資本がコロナによる経営不振を口実に労組解体を狙って整理解雇を強行したが、金属労組世宗ホテル支部は支部長をはじめ6人の組合員が解雇撤回へ不屈に闘いを続けている。
旭硝子支会と共に
「非正規職もうやめろ!共同闘争」は7日夕、ソウルのチョンテイル像の前に集まり、非正規職決意大会「勤労基準法が捨てたチョンテイルたちの行進」を開催した。掲げられた9大要求は、「整理解雇制・派遣法廃棄、非正規職を撤廃しろ!」をメインに、特殊雇用労働者などを含む全労働者への勤労基準法適用、移住労働者への労働基本権保障、労組法2条の完全適用・3条再改正などだ。
この大会後もデモ行進は世宗ホテル籠城現場に行き、資本に怒りをたたきつけた。旭硝子(ガラス)支会の呼びかけに応え、動労千葉と共に訪韓した労働者・学生も参加し「非正規職撤廃!」の声を上げた。
ホテルを所有する資本が理事会を握る世宗大学をはじめとする大学生・大学院生たちも、学内集会禁止の仮処分攻撃をはね返して労学連帯で共闘している。
チョンテイル烈士精神学ぶ
労働者大会の成功の興奮冷めやらぬ翌9日、動労千葉訪韓団と訪韓闘争に参加した労働者・学生の仲間は、ソウルのチョンテイル記念館を見学した。
毎年11月には必ず「チョンテイル烈士精神継承」を掲げる労働者大会が開催されるように、チョンテイル青年が1970年、過酷な労働条件を告発して自ら体に火を放った決起は民主労総の闘いの原点に位置づけられている。その生涯を紹介し、彼の遺志を伝える場がこの記念館だ。民主労総ソウル本部の同志たちの計らいで解説員をつけてもらい、訪韓団はチョンテイル烈士の生涯と思いに向き合う特別な時間を過ごした。
貧しい中で仕事を転々とし、やっと見つけた縫製工場に就職したチョンテイル青年は、少女たちが下働きとして過酷な労働条件で働く現実に直面する。自らも低賃金で働く中、交通費で彼女らにたい焼きを買ってやり、自分は3時間も歩いて家に帰る日々の中でついに決起。当局に告発するも無視され、焼身決起に至るのだ。彼の死後、母である李小仙(イソソン)さんは自ら労働組合を組織し、初期の民主労組運動の突破口を開いた一人となった。
訪韓団もまた、彼の遺志を継ぎ闘う決意を固めた。






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