北九州で放射能汚染がれき試験焼却に大反撃、搬入実力阻止したぞ!
私は、5月22日、北九州市での放射能汚染がれき試験焼却阻止の闘いを先頭で闘いぬきました。
私たちの仲間は、搬入が予定された5月22日の前夜から、「放射能ガレキNO」の横断幕をかかげ、焼却予定の日明(ひあがり)焼却工場前に陣取りました。午前9時。6台の汚染ガレキを載せたトラックが工場前に到着。トラックに体当たりをして止めるところから闘いの火ぶたを切り、さらにトラックの列の間に私たちの車を突入させ、トラックを完全にストップさせました。「やったぞ!」の歓声が上がり、これに市の環境局や警察はあわてふためいたことはいうまでもありません。
長時間のにらみ合いが続いた午後4時すぎ。環境局が「業務妨害」の警告を行い、警察隊が一斉に襲いかかってきました。私たちは、トラックの前に座り込んでスクラムを組み闘いました。警察隊の暴行は容赦ないものでした。参加していた妊婦を押し倒し、足を踏みつける有様です。この暴挙に市の環境局職員も加わっていました。
負けてたまるか! 若い女性は、排除されても泣きながら何度も舞い戻り、トラックにしがみついて抵抗しました。怒号が飛びかい、けが人も多数出ました。だが、固いスクラムを簡単に崩すことができません。体を張った青年、高齢者、そして女性たちの闘いは50分にも及びました。トラックの前に身を投げ出した青年など、2人を不当にも逮捕し去った蛮行は本当に許せません。
私たちは、がれき搬入後に出てきたトラックを止めて荷台の線量計測を行いました。何と0・6マイクロシーベルトもありました。驚いて「全員マスクをしてください」という大声が飛ぶほどでした。
夜になって機動隊が増員され、100人に膨れあがった反対派を抑え込む形で、残りのトラック22台が搬入されました。本当に悔しいです。でも誰も負けたとは思っていません。それは、8時間半にわたって放射能汚染がれきの搬入をぶっとめた素晴らしい闘いを実現したからです。この闘いは、全国、否、全世界の反原発勢力、何よりも北九州市民に勇気と感動を与えたと思います。友人からの「すごいぞ、よくやった」「お前たちの闘いは世界中発信されているぞ!」というメールが何本も届きました。北橋市長は墓穴を掘りました。警察の力を借りなければ試験焼却ができない――この蛮行こそ、放射能汚染がれき試験焼却の不正義性を凝縮するものです。
前日の闘いもすごいものがありました。避難者が中心になって組織した豊島耕一佐賀大教授や俳優の山本太郎さんなどをそろえた「市民検討会」の陣形はとても立派でした。放射能汚染拡大を阻もうとする反原発パワー、子どもを守ろうとするお母さんたちのパワーにも圧倒されました。市民検討会を途中で切り替え、山本太郎さんや避難者、焼却工場周辺住民を先頭に市庁舎に向かったデモ隊が、みるみるうちに500人に膨れあがっていったのにはびっくりしました。デモ隊は、市庁舎に着くや非常階段を5階まで一気に駆け上がり、市長に面会を求めて秘書室前を占拠。さらに子どもを乗せた乳母車10台を並べ1階ロビーを埋め尽くし、「北橋でてこい!」のコールをあげる姿にはふるえが来るほどでした。
北橋市長は、23日の定例記者会見で「6月タウンミーティング開催」を表明し、「6月末決定をずらすこともありえる」などと言い出しています。5・21―22の闘いの威力は絶大です。この力を何倍も強化し、6月市議会での「受け入れ決定」と「本焼却」をぶっ止めようと思います。(NAZEN福岡・A)
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