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NAZENヒロシマ結成1周年集会、佐藤幸子さんが福島現地報告

20130214a-1.jpg 2月11日、広島平和記念資料館会議室において、NAZENヒロシマ結成1周年集会が開催され、100人が集まりました。昨年末に急逝された元福島県教組委員長の清野和彦さんを招いて結成をかちとってから1年、NAZENヒロシマは、被爆者や被爆二世・三世の労働者らの呼びかけ人と若いスタッフを中心に活動を続けてきました。今回、福島の佐藤幸子さんを迎え、あらためて全原発廃炉まで闘い抜く決意を固め、3・11福島大行動から8・6ヒロシマへ向かって新たなスタートを切る集会となりました。
 NAZEN呼びかけ人の反戦被爆者の会・下田礼子さんのあいさつの後、セイブザイラクチルドレン広島代表の大江厚子さんが「NAZENヒロシマ結成1周年のアピール」を発し、「3・11は、8・6、8・9とともに人類史において絶対に消すことの出来ない日付となった。3・1ビキニ事件以来分断されてきた反核と反原発のたたかいを一つにして、福島と共に全原発廃炉へ」と訴え、3・11福島大行動への結集を呼びかけました。 

20130214a-2.jpg 続いて佐藤幸子さんから約1時間の福島現地報告を受けました。福島の写真をスクリーンに映しながらの佐藤さんの報告は、3・11から2周年を迎える福島の現実が、「復興」どころか放射能汚染も、健康被害も、そして地域の崩壊についても、ますます事態は深刻化していることを突き出しました。佐藤さんが暮らしていた村の変わらない美しい風景。しかしそこで暮らすことはできない。畑も耕せない。無農薬野菜をつくり、人と自然が一体となった生活をつくろうとがんばってきたことが、すべて無にされた。佐藤さんは抑えぎみに語り続けられましたが、なおのこと無念さと怒りが胸に染みます。また「除染・復興」のウソを暴き、「除染作業をやっている人も元農家だったりして、本当につらい思いをしている。原発さえなければと命を絶った農家の人たちが何人もいる。原発で死んだ人はいないというのは本当に許せない」と弾劾。甲状腺の異常の多発、心筋梗塞などの病気で亡くなる人が増えていることも語られましたが、「亡くなっても口をつぐんでいる」ということです。かつての広島・長崎の被爆者がそうさせられたように。まさに「緩やかなジェノサイド」が行われている現実を絶対に許すことはできません。
 さらに避難先で認知症や体の衰えが急激に進む高齢者の介護問題、若い働き手がいなくなった福祉施設における矛盾等、新たな課題が続々と出ていることも報告されました。それは新自由主義の矛盾の極限的なかたちでの爆発です。この原発事故によってもたらされている何重もの困難と向き合いながら、国・原子力村の責任をとことん追及し、ふくしま共同診療所という「命の拠り所」をつくり、希望を失わず、あらゆる分断をのりこえて3・11フクシマ大行動への結集を呼びかける佐藤さんに対して、共に闘い抜く決意をこめた拍手が会場全体から送られました。
 佐藤さんの訴えにこたえるかたちでNAZENヒロシマから発言が続きました。福島の子どもたちの保養と避難のプロジェクトに取り組む室本けい子さん、ふくしま共同診療所と共に闘う高陽第一診療所医師の吉田良順さんと仲間の医師、被爆者の山口元さんと被爆二世の中島健さんが、福島への思いを込めたアピールをしました。最後に広島大学の「NO NUKES HIRODAI」の学生が、神谷教授ら原子力村、IAEAと結託する原発御用教授追放の闘いを報告し、「3・11福島大行動を成功させ、8・6には反原発の世界大会を」と行動提起を行いました。
 集会後、佐藤さん、下田さんらNAZEN呼びかけ人を先頭に、平和記念資料館前から広島のメインストリートを通って原爆ドーム前までデモ行進。本通りアーケードでは若者たちをはじめ多くの広島市民の注目を浴び、飛び入りも。NAZENヒロシマは3・11大行動に全力で参加し、どこまでも福島と共に闘います。(投稿・NAZENヒロシマ事務局・K) 

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