佐世保闘争50年で秋山元全学連委員長が講演
1月19日、1968年の原子力空母エン―プライス佐世保寄港阻止闘争から50年目のこの日、「19日佐世保市民の会」が「エンプラ闘争から50年」の集会を開催し、当時全学連委員長であった秋山勝行さんがお話をした。「19日佐世保市民の会」は、佐世保闘争のあった1968年1月の翌月の2月19日より、50年間にわたって毎月19日に佐世保闘争を継承するデモ行進を行ってきている。
集会では「佐世保激動の記録」(NBC長崎放送作成)のビデオの上映の後、秋山勝行元全学連委員長が壇上に立ち、「60年安保闘争以降の激しい弾圧やデモ規制によって、学生運動がつぶされようとしている中で、全力をあげて当時の全学連は佐世保闘争に立ち上がった。逃げていく機動隊を初めてみた。それはその後の運動の高揚の転換点となった」と佐世保闘争が果たした役割について語り、同時に「今、再び戦争がはじまろうとしている。今、私も労働組合で闘っている。韓国でも労働者が立ち上がっている。被爆地・長崎の闘いは重要だ。当時の闘いのようなうねりを今こそつくりだそう」と熱烈に訴えた。
集会の後、秋山元委員長を先頭にして「19日佐世保市民の会」は、この日で600回目のデモを行った。約70人がデモに参加し、当時、佐世保闘争に参加した人たちも全国から駆けつけた。
68年のエンタープライズ佐世保寄港はベトナム戦争の渦中で強行されたが、米軍と自衛隊の両基地が存在する佐世保は、朝鮮侵略戦争が切迫する中で再び侵略戦争の最前線基地になろうとしている。しかし一方で佐世保闘争は、佐世保の労働者市民に累々と50年間にわたって受け継がれ、今の戦争情勢と対決する根底的な力になろうとしている。「私たちの運動は火種だ」と語る「19日佐世保市民の会」は、この日を新たな出発点にして、来月19日に601回目のデモに立とうとしている。
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